メディチ家のヴィーナス
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『メディチ家のヴィーナス』(メディチけのヴィーナス、伊: Venere de' Medici, 英: Medici Venus)は、前2世紀末から前1世紀初頭に制作されたヘレニズム時代の彫刻である。大理石。ギリシア神話の愛と美の女神アプロディテ(ローマ神話のヴィーナス)を主題としている。おそらく古代ギリシアのアテナイで制作された彫刻で、前4世紀末の『クニドスのアフロディテ』の型に倣った[1]オリジナルの青銅製のギリシア彫刻の複製であり、伝統的なプラクシテレス派の直系に属する彫刻家によって制作されたと考えられている。ルネサンス期にローマのトラヤヌス浴場跡の周辺から発見されたのち、フェルディナンド1世・デ・メディチによって購入されたことでメディチ家のコレクションに加わった。現在はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている[2]。
作品
『メディチ家のヴィーナス』はラテン語で「慎み深さ」や「貞淑」を意味する「プディカ」(Pudica)と呼ばれる特徴的なポーズで表されている[2]。女神は少し前かがみになり、右手で胸を、左手で下腹部を隠している。まるで入浴しているところを何者かに驚かされたかのような、他者の視線を避けようとする瞬間を捉えることにより、女神の純真さや慎み深さを表現している[3]。足元の波に乗ったイルカ像はそのことを暗示している。イルカ像はオリジナルの青銅像を支えるために必要だったというわけではない。イルカの背中にはプットーが背びれを両手で掴みながらまたがっている。ヴィーナス像の耳たぶには金属製の装飾品を装着できるように穴が開けられている[2]。彫刻本体と台座は使用された大理石が異なっており、彫刻本体はエーゲ海の大理石の産地として名高いパロス島産、台座はアッティカ地方のペンテリコン山産の大理石が使用されている[2]。台座にはギリシア語で「アテナイのアポロドロスの息子クレオメネスの作」(ΚΛΕΟΜΕΝΗΣ ΑΠΟΛΛΟΔΩΡΟΥ ΑΘΗΝΑΙΟΣ ΕΠΩΕΣΕΝ)と刻まれている[2][4]。クレオメネスという名前は前2世紀から前1世紀にかけて活躍した新アッティカ様式の彫刻家一族であるクレオメネス家に由来している。しかし碑文が刻まれた台座はオリジナルのものではなく、別の彫像から流用されたものであるため、クレオメネス家の系譜から制作年代を推定することはできない[2]。手の修復はバロック期の彫刻家エルコレ・フェラータによって行われ[2]、マニエリスム風の長く徐々に細くなる指を与えられた。




『メディチ家のヴィーナス』は、等身大のアフロディテの裸体表現を導入したプラクシテレスの特定のバージョンとして認められた、身元不明の芸術家の作品に付けられた仮の名称である。この特定のバージョンは現存する古典文献の中に同定可能な作品が見当たらないものの、古代ギリシアおよび古代ローマの愛好家に広く知られていたに違いない。ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている大理石のアフロディテ像は、重要度の低い複製や断片の中で、最も性質が近く、最も品質に優れていることで知られる。このような彫刻は「ローマン・コピー」(Roman copies)と呼ばれ、ローマの支配下にあった地域のどこかで、しばしばギリシア人彫刻家によって、「たとえば、スッラの独裁官時代からコンスタンティヌス大帝によって首都がコンスタンティノープルに移されるまでの、紀元前81年から紀元後330年までの間」に生産されたと理解されている[7]。
『メディチ家のヴィーナス』は他の古代彫刻と同様に多色彩飾が施されていたことが判明している。ヴェーナスの髪は金箔で、唇は辰砂、イルカ像が乗っている波はエジプシャンブルーといった顔料で彩られていた[2]。これらのうち金箔が使用された痕跡については、18世紀にイタリア出身の軍人アレッサンドロ・マッフェイ(1704年)をはじめ、イギリスの画家ジョナサン・リチャードソン(1728年)、フランスの哲学者モンテスキュー(1728年-1729年)、ドイツの博学者ヨハン・ゲオルク・ケイスラー(1740年)、同じくドイツの美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン(1764年)といった様々なグランドツアーの旅行者によって繰り返し言及されていた[2]。しかしその後、彩飾の痕跡は意図的に除去されたらしく、19世紀以降はそうした言及がされなくなる。こうした多色彩飾の存在は、2012年の『メディチ家のヴィーナス』の修復作業中に金箔の痕跡がいくつか発見されたことで改めて確認された[2]。
来歴
『メディチ家のヴィーナス』が発見された正確な年代は不明である。しかしその発見については、ルネサンス期の建築家であり好古家であった、ピッロ・リゴーリオの証言が残されている。それによると『メディチ家のヴィーナス』は、トラヤヌス帝によってオッピオの丘に建設された大浴場跡の周辺から発見された。発見当時のヴィーナス像は、壊れていくつかの部分に分かれていた点を除けば、保存状態は良好であった。ヴィーナス像は修復後にフェルディナンド1世・デ・メディチによって購入され、ローマのメディチ荘のコレクションに収蔵された[2]。1638年にはメディチ荘にあったことが明確な記録として残されており、同年にローマで出版されたフランソワ・ペリエ編纂の『ローマで時の流れによる破壊を免れた最も高貴な彫刻集』(Segmenta nobilia signorum et statuarum que temporis dentem invidium evase)に『メディチ家のヴィーナス』の図版3点が収録された[8]。
ファン・テトロデの複製
『メディチ家のヴィーナス』は1559年には広く知られていたようである。同年に完成した「ピティリアーノ・キャビネット」(Pitigliano Cabinet)は当時ローマで最も有名であった彫刻作品群の小型の複製が陳列されたが、その中に『メディチ家のヴィーナス』の青銅製の複製も含まれていたことが分かっている。このキャビネットはスペイン国王フェリペ2世への贈物として、ピティリアーノ伯爵ニッコロ・オルシーニ(Niccolò Orsini, conte di Pitigliano)が依頼したものである。複製はベンヴェヌート・チェッリーニの工房で修業を積んだオランダ出身の彫刻家ウィレム・ダニエルスゾーン・ファン・テトロデによって制作された。この小型の複製は古代彫刻の最初の模範的な複製であるだけでなく、『メディチ家のヴィーナス』の発見が少なくとも1559年以前であることを伝える点で重要である[9]。
トリブーナでの称賛
ローマを訪れた人々は『メディチ家のヴィーナス』を称賛した。中でも1644年11月にメディチ荘を訪れたイギリスの作家ジョン・イーヴリンは「芸術の奇跡」であると日記に記した[10]。しかしローマ教皇インノケンティウス11世はヴィーナス像を見た美術学生たちが卑猥な発言をしたため、彫刻をフィレンツェに移すことを望んだ[10]。1677年、ヴィーナス像はコジモ3世によって他の古代彫刻『闘士たち』(I Lottatori)や『研ぎ師』(L'Arrotino)とともにフィレンツェに送られ、1680年にはこれらの彫刻とともにウフィツィ美術館のトリブーナに収蔵された[2]。これ以降、ヴィーナス像はグランドツアーのハイライトの1つとなり、現存する古代彫刻の中で最も素晴らしい傑作の1つとして例外なく称賛された[8]。
たとえば、バロック後期の画家ルカ・ジョルダーノは『メディチ家のヴィーナス』の素描を数百枚も描き、イギリスの詩人サミュエル・ロジャーズは毎日のようにこの彫刻を鑑賞した。ドイツ出身の画家ヨハン・ゾファニーはトリブーナの展示風景を描写した『ウフィツィ美術館のトリブーナ』(1772-1777年)の中にこの彫刻を描き込み、ジョージ・ゴードン・バイロン卿は『チャイルド・ハロルドの巡礼』(Childe Harold's Pilgrimage, 1812年-1818年)の中で彫刻の描写に5節を捧げた。
略奪
1800年、『メディチ家のヴィーナス』はフランス軍の略奪を逃れるためパレルモに移された貴重な美術品の1つであった。しかしその甲斐なく1803年にパリへ移送された。ヴィーナス像の返還はナポレオン失脚後のことであり、1815年12月27日にフィレンツェに到着した。
後代の複製

『メディチ家のヴィーナス』は最も多く複製された古代美術品の1つである。ブルボン朝のフランス国王ルイ14世は5体もの複製を所有していた。マルタン・カーリエ、ジャン=ジャック・クレリオン、アントワーヌ・コワズヴォ、ニコラ・フレメリーによる大理石像と、ジャン=ジャック・ケラーとその弟ジャン=バルタザール・ケラーによるブロンズ像である[8]。ヴィーナスは古代ローマ人にとって庭園の女神であり守護神でもあった。そのためイギリスやヨーロッパの庭園ではしばしば『メディチ家のヴィーナス』の複製が設置された。ときには小さな神殿をともなうこともあった。バッキンガムシャーにあるストウ庭園では、18世紀に初代コバム子爵リチャード・テンプルのために造園家チャールズ・ブリッジマンと建築家ジョン・ヴァンブラによってドーム型の円形神殿が建設された。神殿内には『メディチ家のヴィーナス』の複製が設置された[10]。ロンドンのチジック・ハウスでは18世紀にドーリア式の円柱の頂上に複製が設置された。現在の複製は2009年に制作されたものである[10]。小型のブロンズ像としての『メディチ家のヴィーナス』は美術収集家のコレクションの中でもよく知られた美術品の1つであった。ジャン=バティスト・グルーズは『クロード=アンリ・ワトレの肖像』(Portrait de Claude-Henri Watelet)において、美術鑑定家であり『絵画の技法』(L'Art de peindre)の著者でもあるクロード=アンリ・ワトレがノギスとノートを手にブロンズ製の複製を眺めている様子を描いた。ヴィーナス像の複製はセーヴル磁器でも制作された。アメリカ合衆国の彫刻家ハイラム・パワーズは『メディチ家のヴィーナス像』をもとに彫像『ギリシャの奴隷』(The Greek Slave, 1844年)を制作した。ニッコロ・バッツァンティ(Niccolò Bazzanti)作の白いカッラーラ大理石を用いた複製は、フィレンツェのピエトロ・バッツァンティ・エ・フィリオ美術館に所蔵されている[11]。
ギャラリー
- アフロディテの大理石像 1世紀あるいは2世紀 メトロポリタン美術館所蔵[3]
- ヴェルサイユ公園に設置された複製
- ペテルゴフ宮殿に設置された複製 18世紀
- チジック・ハウスの庭園に設置された複製 18世紀