メリテネの戦い From Wikipedia, the free encyclopedia メリテネの戦い(メリテネのたたかい、英語: Battle of Melitene)は、1100年、アンティオキア公ボエモン1世率いる十字軍勢力がアナトリア半島東部のマラティヤ(ラテン語名メリテネ)でダニシュメンド・ガーズィー(英語版)率いるダニシュメンド朝トルコ人に敗れた戦闘。 概要 メリテネの戦い, 交戦勢力 ... メリテネの戦い 十字軍中 戦争:十字軍 年月日:1100年 場所:アナトリア半島、マラティヤ 結果:ダニシュメンド朝の勝利 交戦勢力 アンティオキア公国 ダニシュメンド朝 指導者・指揮官 ボエモン1世 (捕虜) ダニシュメンド・ガーズィー(英語版) 損害 ほとんどが死亡少数が捕虜 不明 第1回十字軍 リスト 民衆十字軍 クセリゴルドン - キボトシュ 第1回十字軍 ニカイア - ドリュラエウム - アンティオキア - マアッラ - エルサレム - アスカロン 1101年の十字軍 メリテネ - 第一次ラムラ - 第二次ラムラ 表示 閉じる 背景と経過 1098年にアンティオキア公になった後、ボエモン1世はキリキア・アルメニア王国と同盟した。メリテネのガブリエル(英語版)とそのアルメニア人駐留軍が北のダニシュメンド朝勢力に攻撃されると、ボエモン1世はフランク人部隊を率いた救援に馳せてきた。 ダニシュメンド・ガーズィーは遠征軍を待ち伏せし、「十字軍のほとんどが殺された」[1]。マラシュとアンティオキアのアルメニア人司教が死亡した一方、ボエモン1世はリカルド・ディ・サレルノ(英語版) とともに捕虜にされた。 その後 1101年の十字軍の目的の1つにボエモン1世の救出があったが、十字軍は撃破されて失敗し、ボエモン1世は身代金目当てで1103年まで囚われた。 メリテネでの敗北により、第1回十字軍以来の連勝が終わった。エデッサ伯兼エルサレム王ボードゥアン1世はメリテネの包囲を解いたが、十字軍がボエモン1世の身代金を交渉している間、ダニシュメンド朝は1103年にメリテネを奪取、メリテネのガブリエルを処刑した。 脚注 [1]Eggenberger, p 272 参考文献 Eggenberger, David. An Encyclopedia of Battles. New York: Dover Publications, 1985. ISBN 0-486-24913-1 Related Articles