モドリン要塞
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| モドリン要塞 Modlin Fortress | |
|---|---|
マゾフシェ県モドリン | |
ナレウ川対岸からみた橋頭堡 | |
| 種類 | 要塞 |
| 施設情報 | |
| 管理者 | フランス、ロシア帝国、ポーランド |
| 歴史 | |
| 建設 | 1806年 - 1812年 |
| 使用期間 | 1812年 - |
| 使用戦争 | 11月蜂起 モドリンの戦い |
モドリン要塞(モドリンようさい、英語:Modlin Fortress、ポーランド語:Twierdza Modlin)とは、ポーランドのワルシャワから北へ約50キロにあるモドリンに築かれた19世紀最大級の要塞である。フランス第一帝政によって1806年から1812年にかけて建造され、複合施設内の主要兵舎は建造物としてもヨーロッパ最長の2250メートルにおよぶ[1]。ロシア帝国の支配時にはノヴォグルジエフスク(Novogeorgievsk)要塞と改名された。
ドイツによる占領

第一次世界大戦中の1915年の夏、ロシアはポーランドにおけるドイツ帝国の侵攻に苦戦しており、ポーランドをドイツに明け渡すか退却せずに踏み留まるかの現実に直面していた。退却した場合に問題となるのは要塞の放棄、特にノヴォグルジエフスク要塞であったが、要塞は「ポーランドにおけるロシア支配の象徴」とみなされていた[2]。撤退することは、連合国が勝てば領土交渉能力が低下するというポーランドの放棄を意味していた[3]。
ポーランド管区のミハイル・アレクセーエフ司令官は、要塞防衛は罠であり難攻不落というのは幻想に過ぎないことを認識していたが[3]、上官に煽られて守備隊を要塞防衛のために残した。彼が割くことのできた戦力は第2シベリア師団、第58師団、第63師団の残存兵であった[2]。
一方、要塞を奪取するためにドイツ側は大戦初期におけるアントワープ攻囲戦の功労者であったHans Hartwig von Beseler将軍を派遣した。彼の軍は運良く作戦初日で要塞の技術主任を捕えることに成功し、ノヴォグルジエフスク攻囲戦はわずか数日で終了した[4]。陥落時のドイツ軍は1600丁の銃と約100万発の弾薬を鹵獲した[5]。