モハマドゥ・イドリス
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| 名前 | ||||||
| 愛称 | Mo | |||||
| ラテン文字 | Mohammadou Idrissou | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1980年3月8日(45歳) | |||||
| 出身地 | ヤウンデ | |||||
| 身長 | 191cm | |||||
| 体重 | 82kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW (CF) | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
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| 20 | (5) | ||||
| 1999-2000 |
| 24 | (7) | |||
| 2000-2001 |
| 18 | (15) | |||
| 2001-2002 |
| 31 | (13) | |||
| 2002-2006 |
| 60 | (13) | |||
| 2006-2007 |
| 45 | (8) | |||
| 2008-2010 |
| 74 | (25) | |||
| 2010-2011 |
| 33 | (5) | |||
| 2011-2012 |
| 26 | (14) | |||
| 2012-2014 |
| 61 | (30) | |||
| 2014 |
| 5 | (0) | |||
| 2015 |
| 5 | (0) | |||
| 2015-2016 |
| 22 | (9) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2003-2014 |
| 41 | (9) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 2. 2014年4月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
モハマドゥ "モ" ・イドリス(Mohammadou Idrissou, 1980年3月8日 - )は、カメルーン・ヤウンデ出身の元同国代表のサッカー選手。イドリソとも表記される。
クラブ
母国のRCバフーサム, コトンスポール・ガルアを経て[1]、2000-01シーズン冬の中断期間にドイツ5部のFSVフランクフルトへ移籍した。FSVでは18試合15得点と大活躍したが4部に昇格出来なかった。しかし、イドリス個人としては翌2001-02シーズンに3部のSVヴェーエンに引き抜かれ、サベル・ベン・ネティシャ(Saber Ben Neticha)とコンビを組み得点を量産した。
翌シーズンに移籍金30万ユーロで1部の加入すると、フレディ・ボビッチとコンビを組み、初のトップリーグ挑戦ながら9得点を挙げる活躍を見せ、シーズン終了後に契約を2006年まで延長した[2]。しかし、2004-05シーズンになると先発出場が1試合と出場機会が僅かなものとなり、さらに同シーズン冬の移籍市場でチームはヴェリコ・パウノヴィッチを獲得したことで居場所が失くなり、フランス1部のSMカーンに貸し出された[3]。
2006年1月にMSVデュースブルクと個人契約を結ぶも、膝の問題からメディカルチェックを失敗し参加出来ず[4]。また、ハノーファーに戻ることが出来ず無所属の状態に陥った。同年6月に今度はメディカルチェックに合格し、デュースブルクに2年契約で無事加入した[5]。2部のデュースブルクでは8得点を挙げ昇格に貢献したが、翌シーズンの1部の舞台では無得点の日々が続き、2008年1月の移籍市場終了直前に2部のSCフライブルクへ移籍。フライブルクでの1年半は、ロビン・ドゥット監督の下でレギュラーとして25得点を挙げる活躍を見せ、ファンから一番人気を集めた[1]。
フライブルクから契約延長のオファーがあったが拒否し、2010-11シーズンに自由移籍でボルシア・メンヒェングラートバッハへ2年契約で移籍[6]し、33試合5得点を挙げた。2011-12シーズンになるとリュシアン・ファーヴル監督の構想外となり、2011年8月31日に2部のアイントラハト・フランクフルトへ加入[7]。7節のアウェー エネルギー・コットブスとのデビュー戦(3-3)で89分に初得点を挙げ、8節のハンザ・ロストック戦(4-1), 9節のディナモ・ドレスデン戦(4-1)でそれぞれ2得点と3試合で5得点と量産し、最終的に14得点を挙げ昇格に貢献したものの、2012年7月27日に2部の1.FCカイザースラウテルンと契約した[8]。
代表
ユース時代に1999 FIFAワールドユース選手権に出場。A代表としては2003年にデビューを果たし、同年のFIFAコンフェデレーションズカップ2003に出場。コンフェデレーションズカップでは全5試合に出場し、チームは準優勝するも得点を挙げることは出来なかった。それから程なくして代表から遠ざかり、2006年に呼び戻されるなど定着は出来ずにいたが、ポール・ル・グエン監督の下ではレギュラーとしてサミュエル・エトーとコンビを組む[9]までになり、2010 FIFAワールドカップのメンバー入りを果たしたが、グループリーグ最下位で敗退した。また、エトーとのコンビにはピエール・ウェボやエリック・マキシム・シュポ=モティングが選ばれ、イドリスは全3試合途中出場だった。