ヤコビアン予想
多項式写像の可逆性に関する数学上の予想
From Wikipedia, the free encyclopedia
数学におけるヤコビアン予想(英: Jacobian conjecture)とは、多項式写像の可逆性に関する問題である。標数 の体 上の多項式写像 について、ヤコビ行列式が非零定数ならば は多項式逆写像を持つ、という主張であった。
この主張は、2変数の場合については1884年にルートヴィヒ・クラウスによってすでに述べられていたが、その証明には誤りがあった[1]。1939年にはオット・ハインリヒ・ケラーが整数係数の多変数多項式について改めて定式化した。のちにシュリーラム・アビヤンカールによって、主張自体は初等的な多変数微分積分学の知識で理解できる一方、解決には深い代数幾何学を要する問題の例として広く知られるようになった。
ヤコビアン予想には長年にわたり多数の証明が提出されたが、その多くには微妙な誤りが発見されてきた。2026年7月、数学者Levent Alpögeは3変数の場合の明示的な反例を公表し、この例をAnthropicの大規模言語モデル「Claude Fable 5」が発見したと述べた[2][3][4](#3変数の反例参照)。したがって予想は で偽である。一方、 の場合は2026年7月現在も未解決であり、 の場合は自明に成立する。ヤコビアン予想は、スティーヴン・スメイルが1998年に挙げた「次世紀の数学問題」の第16問題である[5]。
ヤコビ行列とヤコビ行列式
を整数とし、体 上の多項式環 に属する多項式 を取る。これらから定まる多項式写像を と書く。
のヤコビ行列は であり、その行列式 をヤコビ行列式という。 自身も の元である。
予想の定式化
多変数の連鎖律により、 が多項式逆写像 を持つならば、 が成り立つ。多項式環 の単元は非零定数だけなので、このとき必ず である。古典的なヤコビアン予想は、この必要条件の逆も成り立つと主張していた。
ヤコビアン予想: 標数 の体 と多項式写像 に対し、 が非零定数ならば、 は多項式逆写像を持つ。
同値な言い方をすれば、 はアフィン空間 の多項式自己同型である、という主張である。標数 の場合はレフシェッツの原理を用いて複素数体 の場合に帰着できる。
正標数では、同じ形の主張は1変数ですでに偽となる。標数 の体上で と置くと、 である。しかし、任意の に対して であるため、 は単射でなく、多項式逆写像を持たない。Adjamagbo (1995)は、体の拡大 の次数を が割らないという仮定を加えた正標数版を提案している。
条件 は逆関数定理と関係する。実数または複素数上では、 ならば は点 の近傍で局所的な滑らかな逆写像を持つ。しかし、局所可逆性は大域的な単射性や、多項式逆写像の存在を意味しない。例えば実関数 は滑らかな大域逆関数を持つが、その逆関数は多項式ではない。
主な結果
Wang (1980)は、各成分の次数が高々 の場合にヤコビアン予想を証明した。Bass, Connell & Wright (1982)は、一般の場合を次数 の場合に帰着した。さらに、補助変数を加えることにより、 で、 の各成分が零または斉次3次多項式である場合に帰着できる。Drużkowski (1983)は、さらに各非零成分を斉次1次式の3乗と仮定できることを示した。この帰着は変数を追加するため、次元 を固定した問題にはそのまま適用できない。
Connell & van den Dries (1983)は、ヤコビアン予想が偽ならば、整数係数かつヤコビ行列式が である反例が存在することを示した。この結果から、固定した次元における予想の真偽は標数 の代数閉体の選び方によらない。
を 、 を が生成する -部分代数とする。 が多項式自己同型であることは と同値である。Kellerは双有理な場合、すなわち の場合を証明した。また、 がガロア拡大である場合は、複素数体上ではCampbell (1973)により、一般の標数 の場合はRazar (1979)およびWright (1981)により証明された。Moh (1983)は2変数で次数が高々 の場合を検証した。
de Bondt, van den Essen & 2005, 2005とDrużkowski (2005)は、対称なヤコビ行列を持つ斉次3次型の写像へ帰着できること、および対称なヤコビ行列を持つDrużkowski型写像について予想が成立することを示した。
強実ヤコビアン予想は、実多項式写像 のヤコビ行列式が全ての点で非零ならば、 は大域的に可逆である、という主張であった。Pinchuk (1994)は2変数の反例を構成し、この予想を反証した。
ディキシミエ予想は、ワイル代数の任意の自己準同型が自己同型であるという予想である。ディキシミエ予想からヤコビアン予想が従うことはBass, Connell & Wright (1982)によって示された。逆方向には、土基善文 (2005)とAlexei Belov-Kanel and Maxim Kontsevich (2007)が独立に、 変数のヤコビアン予想から 次元のディキシミエ予想が従うことを示した。P. K. Adjamagbo and A. van den Essen (2007)は、この含意の自己完結的かつ純代数的な証明を与え、さらにヤコビアン予想、ディキシミエ予想およびポワソン予想の関係を示した。