ヤシカ
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概要
1949年に長野県諏訪市で創業。精密機械及びその部品、各種カメラの光学器械、写真感光材料の製造販売を主な事業とし、カメラの販売高は1950年代から1960年代にかけて国内販売・輸出共に首位に立ち、西ドイツ・カール・ツァイス社と提携したコンタックス(CONTAX)ブランドの一眼レフカメラ製造も手がけた。
しかしテレビの製造事業進出失敗や社内の経営不祥事、オイルショックによる景気後退の影響で1975年に経営破綻し、京セラ株式会社が1983年に吸収合併した。
合併後の京セラはヤシカから承継したカール・ツァイス提携事業の高級機「CONTAX」に加え、低価格機は国内向けに「KYOCERA」、国外向けに「YASHICA」の各ブランドを使用してカメラ事業を展開したが、2007年に事業撤退した。
その後2008年に京セラが商標「YASHICA」を売却した中国・香港のJNCデイタム・テック・インターナショナルが「YASHICA」ブランドを使用したカメラの開発製造を行っており、製品は日本国内でも販売されている。
歴史
旧ヤシカ時代

長野県諏訪市のバルブメーカー北澤工業株式会社(現・東洋バルヴ株式会社)勤務の牛山善政が独立して1949年12月、従業員8人で電気時計メーカー「八洲(やしま)精機株式会社」を創業した。
その後、「ピジョン」ブランドで写真用品を販売していたエンドー写真用品株式会社(東京都中央区京橋)からカメラ生産を受託し、株式会社富岡光学器械製造所のレンズを使用した6×6cm判二眼レフカメラの「ピジョンフレックス」を1953年6月に発売。合わせて社名を「八洲光学精機株式会社」に改称した。
さらに折からの二眼レフブームに乗り、1954年にかけてピジョンフレックスと同一設計の「ヤシマフレックス」および「ヤシカフレックス」、シャッターを株式会社コパル光機製作所製に変更した「ヤシカフレックスB」の生産を開始し、自社カメラ事業を本格化させた[1]。
カメラ事業の拡大を受け、1955年には諏訪郡下諏訪町の旧片倉製糸丸六製糸場に本社工場を移転した[2][3]。また1957年に子会社の米国販社「ヤシカ社(Yashica Inc.,)」をニューヨークに開設し、二眼レフカメラメーカーとして積極的に海外市場に進出。1958年には本社の社名も商標と同じ「株式会社ヤシカ」に改称した。同年にはローライフレックス4×4を模した「ヤシカ44」が意匠権を侵害しているとしてローライの米国代理店が訴訟を起こす騒動もあったが、従業員数は1982人に達して急成長を遂げた。
1959年には戦前から続くカメラメーカーのニッカカメラ株式会社を買収して35mmカメラの製造を開始し、ライカタイプのレンジファインダー機「ヤシカE」や、一眼レフカメラの「ヤシカペンタマチック」などを発売した。またズノー光学工業を買収し、同社の技術も獲得した。
さらに自動露出制御の大衆機ブームに合わせ、世界初の電子制御式35mmカメラと銘打つ「ヤシカエレクトロ35」を1965年12月に発表。電池電源をこれまでになく積極的に活用したことによる露出制御の自動化・機構簡略化および大口径レンズの導入によって、暗い所の撮影が困難で壊れやすいとされていた大衆向けEEカメラのイメージを一新し、最終機種(1975年)までのシリーズ累計販売台数は世界で約500万台に達するベストセラー機となった。
1968年には長年同社にレンズを供給していた富岡光学器械製造所(1969年に「富岡光学株式会社」に改称、現・京セラオプテック株式会社)を子会社化した。
ヤシカエレクトロ35で培った電子制御技術の実績と、子会社富岡光学のレンズ製造技術が評価され、1974年9月にカール・ツァイスと提携。1975年からTTL完全自動絞りとクイックリターンミラーを内蔵した35mm一眼レフコンタックスRTSを発売した。またコンタックスRTS用カール・ツァイスレンズと同一マウントの「ヤシカ」ブランド一眼レフおよびレンズを併売した。
この間経営面では、1959年に岡谷市から購入した面積約8万平方メートルの旧片倉製糸工場跡地に専用工場を設ける構想で試作研究を続けていたテレビ受像器製造事業構想が挫折し、同地には1972年にカメラ製造の新工場を建設して下諏訪町から本社と工場を移転させた。しかしその過大投資に加え、牛山善政社長の個人保有株に絡む経理部長の横領事件や社長親族の麻薬事件などの問題が重なって経営が悪化。オイルショックによる景気悪化が追い打ちとなって1975年、経営破綻した。
その後もメインバンクである太陽神戸銀行と日商岩井による支援を受けてカメラ生産を続けたが、カメラのマイクロ・エレクトロニクス化が進む中で新製品の開発が困難な状態に陥り、遠藤良三社長(のち京セラ副社長)の手で1983年10月、京セラ株1対ヤシカ株13の比率で京セラに吸収合併された。
製品についての詳細はコンタックス、ヤシカのカメラ製品一覧を参照のこと。
京セラ合併後
ヤシカの事業を引き継いだ京セラ光学機器事業本部は合併後も高級機の「CONTAX」、低価格機の「YASHICA」の各ブランドでカメラ生産を続けていたが、国内向けの普及機については1986年発売開始のオートフォーカスコンパクトカメラ「京セラTD」から「KYOCERA」ブランドで生産を開始した。
一方で海外では、旧ヤシカの海外市場を重視した戦略で「YASHICA」の知名度が高かったため、海外向けの低価格機は引き続き「YASHICA」ブランドで販売された。また合併翌年の1984年には「YASHICA」ブランドの京セラ製MSXコンピュータ「YC-64」が海外向けに発売された。
カメラ生産は1984年12月以降、旧ヤシカ本社工場の長野岡谷工場が「CONTAX」「YASHICA」ブランドの一眼レフ、北海道北見工場(北海道北見市豊地)[4]が「KYOCERA」「YASHICA」ブランドのオートフォーカスコンパクトカメラを担当したが、チップコンデンサなどの電子部品生産増強を目指した1988年の国内生産体制再編でカメラ生産ラインは長野岡谷工場に一本化された。
しかし光学機器事業本部は合併時の期待どおりの収益を上げることができず、ヤシカ出身社員の多くは1990年代以降、京セラが手がけた第二電電(DDI、現在のKDDI)などの別事業に投入された。結局京セラは2007年にカメラ事業から撤退し、長野岡谷工場はサーマルヘッド部品やLEDヘッド部品、単結晶サファイア製品などの生産工場となった。
京セラ撤退後の「YASHICA」カメラ事業
京セラはカメラ事業撤退後の2008年10月、旧ヤシカ社から承継し保有していた国際商標「YASHICA」を、京セラ製カメラの販売代理店だった中国・香港のJNCデイタム・テック・インターナショナル株式会社(JNC Datum Tech. International Limited、捷訊電器國際有限公司)に売却した。JNCは以後、「YASHICA」ブランドのカメラ事業を各国で展開している。
JNCの「YASHICA」ブランドカメラは、かつてヤシカの看板機種だった「ヤシカエレクトロ35」をイメージした「Y35」(2017年、日本販売は2019年)、京セラが1986年に海外向けに製造販売したマニュアル専用一眼レフ「ヤシカFX-3」をイメージした「FX-Dシリーズ」(2025年)など、海外で知られたヤシカ旧製品のデザインを踏襲したデジタルカメラをたびたびリリースしているのが特徴である。
JNCは日本国内でも「YASHICA」の商標権利者で(商標登録番号第755700号)、日本では同社と契約したエグゼモード株式会社(販売期間2008年-2011年)、株式会社GEANEE(現・株式会社ジェネシスホールディングス、販売期間2012年-2018年)、Discover株式会社(販売期間2018年-2020年ごろ)がJNCの「YASHICA」ブランドカメラ製品を断続的に販売した。
このあとJNCは日本における「YASHICA」ブランド事業の再展開と強化を目指し、日本法人の株式会社ヤシカジャパン(神奈川県横浜市、近藤秀信社長)を2022年に設立した[5]。同社はJNCが開発製造する「YASHICA」ブランドのフィルムカメラやデジタルカメラ製品、およびフィルムなどの国内販売を手がけている。
沿革
- 1949年 - 長野県諏訪市のバルブメーカー北澤工業株式会社(現・東洋バルヴ株式会社)勤務の牛山善政らが独立し、同市内に「八洲精機株式会社」を設立。
- 1953年 - 商号を「八洲光学精機株式会社」に変更。6×6cm判二眼レフ「ピジョンフレックス」および同改良型「ヤシカフレックスB」発売。
- 1954年 - 世界で初めてセレン露光計内蔵の6×6cm判二眼レフ「ヤシカフレックスS」発売。
- 1955年 「ヤシカフレックスC」発売。長野県諏訪郡下諏訪町御田町の旧片倉製糸丸六製糸場に諏訪工場を移転(現・武藤工業諏訪工場)。
- 1957年 - ニューヨークに米国販社の子会社「ヤシカ社」を設立。
- 1958年 - 商号を「株式会社ヤシカ」に変更。ローライフレックス4×4(通称「グレーベビーローライ」)を模した4×4cm判二眼レフ「ヤシカ44」発売。ニューヨーク市場でヤシカ44が自社のデザインを盗用しているとして、ローライフレックス4×4の製造元であるフランケ・ハイデッケ有限合名会社代理店から意匠権侵害で提訴される。(双方の代理店間でアメリカ意匠権=DesignPatent=法における侵害当事者間訴訟を提訴)
- 1959年 - ローライフレックス4×4製造元が意匠権侵害訴訟を取り下げる和解が成立。アメリカ・フィラデルフィアのシェラトンホテルで両社の社長同士が調印し、ヤシカはグレー仕上げヤシカ44を製造中止する条件で解決した。ニッカカメラを実質上合併し、「ニッカ33」を改称した35mmレンジファインダー機「ヤシカE」(のち「ヤシカYE」)を発売。完全自動絞り、クイックリターンミラー内蔵の35mm一眼レフ「ヤシカペンタマチック」を発表。
- 1966年 - 世界初の35mm電子シャッターEEカメラ「ヤシカエレクトロ35」の発売開始。1975年の最終モデルまでに世界で累計約500万台を販売する。
- 1968年 - ヤシカにレンズを供給していた株式会社富岡光学器械製造所(後の京セラオプテック株式会社)を子会社化。
- 1972年 - 岡谷市から1959年に購入した旧片倉製糸工場跡地(長野県岡谷市長地小萩)に岡谷工場を開設し全面移転(現・京セラ長野岡谷工場)。バレーボール部女子チームが日本リーグで初優勝。
- 1974年 - 経営悪化で大規模な人員整理。相模原工場(神奈川県)閉鎖で労働組合委員長、工場長が相次ぎ割腹自殺図る。
- 1975年 - TTL完全自動絞り、クイックリターンミラー内蔵の35mm一眼レフコンタックスシリーズの発売開始。経営破綻にともない京セラの経営支援開始。
- 1978年 - バレーボール部が廃部。
- 1979年 - 「コンタックス139クォーツ」発売。
- 1983年 - 京セラに吸収合併。
- 2005年 - 京セラ、カメラ事業を大幅に縮小。
- 2007年 - 京セラのカメラ事業からの撤退が完了。
京セラ撤退以後
- 2008年 - 京セラが中国・香港のJNCデイタム・テック・インターナショナル株式会社(JNC Datum Tech. International Limited、捷訊電器國際有限公司)に「YASHICA」商標を売却。エグゼモード株式会社がJNC製「YASHICA」ブランドカメラを販売開始。
- 2012年 - GEANEE社がJNC製「YASHICA」ブランドカメラなどを販売開始。
- 2018年 - Discover株式会社がJNC製「YASHICA」ブランドカメラなどを販売開始。
- 2022年 - JNCが日本法人の株式会社ヤシカジャパンを設立し、JNC製「YASHICA」ブランドカメラを販売開始。
提供番組
- ヤシカゴールデン劇場(日本テレビ)
- 孤独のメス(TBSテレビ 1969年4-7月に生放送。番組中に片山竜二が出演した生コマーシャルがあった)
- 土曜グランド劇場(日本テレビ)[6]
- NNNきょうの出来事(日本テレビなど、1970年代前半の一社提供時代)
- NNNニューススポット (日本テレビなど、1970年代後半)

