ユウ・デジュン
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1908年、北京に生まれる。幼くして母を亡くし、父の厳しい教育を受ける。15歳の時に北京師範学校に入学し、同校高等科の北京師範学校史地博物部に進む。1928年、北平師範大学に入学。胡先驌の下で学んだ。1931年に卒業。
卒業後は北平静生生物調査所に勤務する。翌年、北平静生生物調査所とハーバード大学アーノルド樹木園が四川省の植物に関する共同調査を開始すると、兪徳浚は四川省北碚(現在の重慶市北碚区)に派遣され、中国西部科学院植物部主任となった。在任中は、四川省で膨大な植物、種子、苗木の採取を行った。1934年に北京へ戻り、四川省で採集した資料の整理を行い、「四川植物採集記」や「四川雷馬峨屏調査記」などの論文を執筆した。
1937年、盧溝橋事件が起こると、中国西部科学院を雲南省に移し、雲南省教育庁と共に雲南農林植物研究所を設立した。兪徳浚は同研究所の研究員、副所長となった。1947年、エディンバラ王立植物園の支援を受けてイギリス・エディンバラに研究のため滞在し、王立植物園客員研究員を務めた。同時に、高等植物分類学と園芸学を学び、1950年に帰国した。
1952年、九三学社に加入、1956年に中国共産党に入党。中国科学院植物研究所の研究員となり、副所長を務めると同時に、北京植物園の主任を兼任した。北京植物園の開設にかかわり、30年近く主任として勤務した。1980年、中国科学院学部委員(院士)に選出された。