四川省 (中華民国)
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中華民国建国当初に設置されて以来、3度にわたる管轄区域の縮小が行われている。1914年(民国3年)、康定、安良、化林、瀘定、雅江、道孚、太寧、理化、懐柔、定郷、稲城、貢噶、巴安、義敦、徳栄、武成、塩井、寧静、昌都、察雅、貢県、察隅、科麦、恩達、鄧柯、甘孜、炉霍、石渠、徳格、白玉、同普、丹巴、嘉黎、碩督、太昭の各県が川辺特別区に、1938年(民国27年)9月には雅安、天全、滎経、蘆山、漢源、宝興、西昌、冕寧、塩源、昭覚、会理、塩辺、越巂、寧南の各県および金湯、東寧の両設治局が西康省に移管されている。
また1939年(民国28年)5月には重慶市が院轄市に指定され四川省政府より分離、同時に巴県の一部が重慶市に移管されている。1947年(民国36年)時点での管轄区域面積は303,318平方キロメートルであり、東は湖南省および湖北省、西は西康省、南は湖南省及び貴州省、北は陝西省及び甘粛省と接していた。
行政沿革
1911年(宣統3年)10月10日、辛亥革命が発生すると、11月21日に広安県にて蜀北軍軍政府が成立、11月26日には瀘県にて川南軍政府が設立した。また27日には成都にて大漢軍政府及び張培爵、夏之時等による蜀軍軍政府が成立している。
1912年(民国元年)1月、川南軍政府が蜀軍軍政府に合流、2月2日には蜀軍軍政府と大漢軍政府が統合され四川軍政府が誕生した。同年7月12日、民政長官として民政長を設置、1914年(民国3年)5月23日に民政長は巡按使、1916年(民国5年)7月6日に省長と改称された。
1926年(民国15年)11月27日、国民党中央政治会議は川康綏撫委員会の設置を決定、四川省及び川辺特別行政区の軍事、政治を統括する臨時機関とされ、翌年1月1日、川康綏撫委員会が重慶にて成立している。1927年(民国16年)1月、四川省は武漢国民政府に帰順したが、同年4月21日に発生した上海クーデター後は南京国民政府に帰順している。1928年(民国17年)11月7日、南京国民政府は四川省臨時政務委員会を廃止、四川省政府委員会を設置し行政運営に当たった。1949年(民国38年)12月27日に成都が「解放」され中華民国は実効支配権を喪失した。その後四川省政府委員会は西康省西昌市に移転したが、人民解放軍による西昌戦役によって1950年(民国39年)3月27日に消滅した。
