ヨゼフ・ケーニヒ
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- オーストリア=ハンガリー帝国領のプラハで、オーボエ奏者の息子として生まれる。プラハ音楽院でヴァイオリンを専攻し、音楽理論をアントニン・ドヴォルザークから学ぶ[4]。
- 1905年頃、帝政ロシアの首都サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場管弦楽団のコンサートマスターに迎えられる。ロシア革命後の1925年までその任についていた。
- 1925年4月、東京で開催された「日露交歓交響管弦楽大演奏会」にロシア側のメンバーとして参加、次席コンサートマスターを務めた。なお、首席コンサートマスターは、後にケーニヒの後任として新交響楽団に着任するニコライ・シフェルブラットであった[4]。
- 同年12月、東京放送局専属の指揮者兼ヴァイオリニストとして招聘される。
- 1926年1月から6月まで、日本交響楽団を指導して12回の定期演奏会を開く。近衛秀麿により新交響楽団が設立された後は、新交響楽団の指揮者として育成に当たった。