ヨハン・アドルフ・シャイベ
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ライプツィヒにオルガン製作者の息子に生まれる。1725年からライプツィヒ大学で法律と哲学を学んでいたが、経済上の理由で断念した。やがてオルガンとチェンバロの教師となり、1729年には聖トーマス教会のオルガニストを目指したが不採用だった。その後も1735年までライプツィヒで音楽教師・作曲家として活動した。
1736年、ハンブルクに移動した。すぐに有力者のヨハン・マッテゾンとゲオルク・フィリップ・テレマンと友人になり、2人の支援を得て1737年から『批判的音楽家』という雑誌を刊行した。
1739年、デンマーク王が支配するシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公領の総督フリードリヒ・エルンスト・フォン・ブランデンブルク=クルムバッハの宮廷楽長に就任した。
1740年、フリードリヒ・エルンストの姉ソフィア・マグダレナがデンマーク王クリスチャン6世の妃だった関係で、デンマークの宮廷楽長となり、教会音楽、カンタータ、受難曲などを作曲した。さらにデンマーク初の音楽ソサエティーを創設するなど精力的に活動した。
作品
著書
- 音楽、とくに声楽の起源と時代に関する論文(1754年)
- 音楽作曲について(1773年)