ラインホルト・ホッペ
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ホッペはグライフスヴァルト大学でヨハン・アウグスト・グルネルトのもとで学んだ[3]。1842年に大学を卒業し、英語と数学の教師となった。1850年、ハレ大学で博士課程を終えた。1853年、ベルリン大学にてディリクレのもとで数学のハビリタチオンを取得した。同時に哲学のハビリタチオンを取得しようと試みたが、1871年まで再入学を拒否され続けた。ベルリンで私講師として働き、1870年に教授に昇進した。しかし、生徒数と報酬の少ない状況であった[2]。
1872年にグルネルトが死去し、ホッペはグルネルトの創刊した雑誌 Archiv der Mathematik und Physik の編集を引き継いだ。没するまで編集者を務めた[3]。1890年に設立されたドイツ数学会の最初期の会員となった[4]。
貢献
ホッペは250以上の科学論文を執筆した。 著作の一つに微分幾何学の教科書がある[2]。
幾何学におけるホッペの功績に、高次元正多胞体の再発見(シュレーフリにより発見されていたもの)[5]、「polytop(ポリトープ)」の造語がある[6]。1880年、連続する3つの整数の長さを持つ3辺と、有理数の面積を持つすべての三角形(広義のヘロンの三角形の一種)の閉じた表現を発見した[7]。接吻数問題に関するニュートンの予想の証明はしばしばホッペの功績とされる。しかし、ホッペの証明には欠陥があり、完全な証明は別の者によって1953年に成された[8]。
幾つかの論文でホッペは合成関数のm階微分を研究し、「ホッペの公式」を発見した。この公式はファー・ディ・ブルーノの公式の変種である。ホッペの著作 (1845) はファー・ディ・ブルーノ の発表 (1852) に先行していたが、それ以前にも同等の公式は発見されていた[9]。
特殊関数の研究において、ホッペはヤコビのケーニヒスベルク学派に属した[10]。ホッペは流体力学に関する研究も発表していた[11]。
