ラウル・ディアニュ
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | ラウル・ディアニュ | |||||
| ラテン文字 | Raoul Diagne | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1910年11月10日 | |||||
| 出身地 |
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| 没年月日 | 2002年11月12日(92歳没) | |||||
| 身長 | 187cm | |||||
| 体重 | 80kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF、GK | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1930-1940 1940-1944 1944-1946 |
RCフランス/RCパリ トゥールーズFC FCアヌシー | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1931-1941 |
| 18 (0) | ||||
| 監督歴 | ||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ラウル・ディアニュ(Raoul Diagne、1910年11月10日 - 2002年11月12日)は、フランス領ギアナ出身のサッカー選手、サッカー指導者である。フランス代表において最初の黒人選手だった。
セネガル出身で黒人初のフランス国民議会議員となったブレーズ・ジャーニュを父に持ち、フランス領ギアナで生まれ育つ。
1930年にフランス本国へ渡り、RCフランス(1932年からはRCパリ)に入団。1940年まで同クラブに所属し、1回のリーグ優勝(1935-36)と3回のカップ優勝(1935-36、1938-39、1939-40)を経験した。ディフェンダーおよびゴールキーパーというふたつの異なるポジションをこなし、そのどちらにおいても秀でていた。
フランス代表では通算18試合に出場。最初の試合は1931年のチェコスロバキアとの親善試合だった。フランスで開催された1938年ワールドカップでは、1回戦のベルギー戦と準々決勝のイタリア戦の2試合に出場した。
引退後はセネガル代表の監督を務めた。セネガルにおいて彼は「セネガルサッカーの父」と考えられている。