ラティウム同盟
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ローマの台頭
王政ローマ第7代の王タルクィニウス・スペルブスの治世下では、ローマがラティウム同盟の主導的立場に収まり、同盟はローマの指定する日時に軍を供出して連合軍を結成する条約を結んだ。そのようにして、タルクィニウスはローマとラティウム軍の混成を進めていった[4]。
初期の共和政ローマとラティウム同盟が連合したのは紀元前493年のことで、それまで同盟は追放されたタルクィニウスを支援していたが、伝承によればレギッルス湖畔の戦いでローマが勝利した後に「カッシウス条約」が結ばれたという。条約では遠征軍におけるローマ側の主導権と、戦利品の共有(後の第二次ラティウム戦争では宣戦の口実となる)が唱えられた。この同盟はアエクイ族やウォルスキ族といったアペニン山脈の部族連合の侵略を撃退し、連合軍はラティウムを守り抜いた。
