ランチョン (飲食店)
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| レストラン情報 | |
|---|---|
| 開店 | 1909年 |
| 現オーナー | 有限会社ランチヨン |
| 以前のオーナー | 宮本治彦 |
| 種類 | ビアホール |
| 郵便番号/ZIP | 101-0051 |
| 郡 |
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| 住所 | 東京都千代田区神田神保町1-6-2 |
| 座標 | 北緯35度41分46秒 東経139度45分33秒 / 北緯35.6961438度 東経139.7592999度 |
| 席数 | 110 |
| 予約 | 不可 |
| ウェブサイト |
www |
| 種類 | 特例有限会社 |
|---|---|
| 本社所在地 |
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1丁目6番地2 |
| 業種 | 小売業 |
| 法人番号 | 9010002015532 |
| 事業内容 | 飲食店の運営 |
| 外部リンク | https://www.luncheon.jp/ |
1909年(明治42年)創業[2][注釈 1]。宮本治彦が、洋食屋と飲み屋が別々だったものをアメリカ式に一つにまとめて開業したとされている[5]。鮮度が高いビールの味が好評だった[3]。
創業当時は店名がなかった[6]。常連の学生から「ちょっと気取ったランチ」を意味する「ランチョン」を提案され、店名になった[6]。1916年(大正5年)には、東明館を火元とする火災が発生し、ランチョンも含め周辺建物が全焼もしくは半焼した[7]。以降も、1975年4月3日に隣接する「共栄堂」から出火し、それぞれの2階・3階にあたる、220平方メートルを全焼した[8][9]。
その後、1979年(昭和54年)8月から[10]、1981年(昭和56年)にかけて建て替え工事が行われたが[4]、その期間中に訪れた吉岡実は、ランチョンへの訪問をあきらめラドリオで休憩することになった[11]。1階は立ち飲み、2階は洋食を提供するレストランのイメージを残した明るく開放的なホールとなった[6][4]。内装は、レンガをあしらった壁と柱、ナラの床、大理石のカウンターで、螺旋階段にはシャンデリアが設けられた[4][12]。ビヤカウンターの製作に当たっては、パイプの太さ・長さを特注したという[4]。
常連客とメニュー

吉田健一は、中央大学駿河台校舎に勤務していたこともあり、常連になっていた[3]。編集者との打ち合わせ場所として、ランチョンをよく利用していた[12][14][15]。前述した1975年の火事[注釈 2]では、消防車の水が天井から落ちてくる中でもビールを飲み続けていたことを残しており[16]、その時に一緒にいたのは山本容朗だった[17]。
石田波郷は1934年(昭和9年)に石塚友二と初めて会ったのが、ランチョンであったであろうと記憶している。水原春郎は「メンチカツ、ポークカツがうまかった」といい、電話をかけて取り寄せもしていた[18]。また、久住昌之は、美学校で赤瀬川原平のクラス生だった当時、赤瀬川とともに訪れたことがきっかけとなり、一人でも行くようになった[19]。
神保町からほど近い明治大学の学生だった富田常雄が当時生ビールを注文して時間を過ごしたり[20]、宮森和夫は、授業に出席しなかったときも、ランチョンには必ず訪れ、雨の日は数時間過ごしたという[21]。文学部教授であった大木直太郎は、「生ビールの泡の切り方と一定の温度で飲ませることで日本一の定評ある店」だと評価した[22]。
実際、ビールを提供する際には、気温や湿度に合わせて管理温度を調整したうえで[2]、グラスも薄型の特製グラスで提供しているが[6]、そのビールを注げるのはオーナーだけで[23]、数回に分けてビールを注いでいる[24]。
戦時中の1944年から1949年の約5年間はビールの製造が中止されていたため、「メンチカツ」を主に提供しており、その後「自慢」と付くほどのメニューとなった[25]。