リトアニアの世界遺産
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世界遺産
ある遺産が世界遺産に登録されるには、その遺産が顕著な普遍的価値を持ち、かつ10の評価基準の内の少なくとも1つを満たす必要がある。評価基準の内、(i) から (vi) は文化遺産基準、(vii) から (x) は自然遺産基準である[6]。
* 国境を越える遺産
| 名称 | 画像 | 位置 | 登録年 | IDと登録基準 | 説明 |
|---|---|---|---|---|---|
| ヴィリニュス歴史地区 | ヴィリニュス郡 | 1994年 | 541、(ii) 、(iv) 、文化遺産 | リトアニア大公国の首都であったヴィリニュスは、リトアニア人のみならず、他のリトアニア大公国内の民族の文化や宗教の影響の下、多文化都市として発展した。街にはゴシック様式やルネサンス様式、バロック様式及び古典様式の建築物が残り、多様性に富む街並みとなっている[7]。 | |
| クルシュー砂州* | クライペダ郡 | 2000年 | 994、(v) 、文化遺産 | クルシュー砂州は、クルシュー潟とバルト海を隔てる長さ98キロメートル、幅0.4から3.8キロメートルの細長い半島である。5千年前に形成されたこの砂州はその後森林に覆われたものの、17世紀から18世紀にかけての過度の伐採により、クルシュー潟の方に移動をし始め、集落を埋めてしまった。19世紀になると、早急に対策をしなければ人間の居住が不可能になると判明し、砂州の安定化・保護の取り組みが始まり、現在も尚継続している[4]。 | |
| ケルナヴェの考古遺跡 (ケルナヴェ文化保護区) | ヴィリニュス郡 | 2004年 | 1137、(iii) 、(iv) 、文化遺産 | リトアニア東部のネリス川に位置するケルナヴェ遺跡は、後期旧石器時代から中世にかけての集落である。14世紀末にケルナヴェの街はドイツ騎士団によって破壊、この地域の大部分は放棄され、新たな集落は北側に建てられた。このために先史時代や中世の物品がそのまま残されることとなった。遺跡では、バルト地方におけるおよそ1万年間の人類の居住地の発達の様子が見られる[8]。 | |
| シュトルーヴェの測地弧* | パネムネーリス、ネメンチネ、ネメージス | 2005年 | 1187、(ii) 、(iii) 、(vi) 、文化遺産 | シュトルーヴェの測地弧は、ノルウェーのハンメルフェストから黒海まで、2820キロメートルにわたって連なる三角点群である。これらは、1816年から1855年にかけて行われた、フリードリッヒ・フォン・シュトルーベとその同僚らによる測量の際に設置されたものである。この測量は地球の正確な大きさや形の確定に貢献し、地球科学の発展において重要な役割を果たした。世界遺産に登録されている10か国34か所の観測点の内、3か所がリトアニア国内に存在する[5]。 | |