リンディ
タンザニアの都市
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地理
歴史
スワヒリ都市
リンディは古い交易都市であり、北のモガディシュからモンバサ、マリンディ、ザンジバル、キルワから南のソファラまで点々と連なるアラブ人の交易都市のひとつとして繁栄し、スワヒリ都市の一つとなっていた。19世紀はじめにはオマーン王国のサイイド・サイードの支配下に入り、彼が拠点を置いたザンジバルやマスカットなどと交易を行っていた。リンディの主要交易品は奴隷であり、リンディから発した奴隷貿易ルートは内陸奥深くのマラウイ湖やタンガニーカ南部に延び、ヤオ人、マクア人やアラブ人などのキャラバンによって集められた奴隷がアメリカをはじめ世界各地へと送られていった。[3]
植民地時代

19世紀後半にはドイツの勢力が浸透し始めるが、これを嫌った首長が起こしたアブシリの反乱によって1888年に一時リンディは制圧されたものの、やがてドイツ軍が再占領し[4]、1890年にはドイツ領東アフリカの一部となった。この時代にはタンガニーカ南部のリンディ地方の首府となり、人口は4000人を数え、郵便や電信が整備され税関も置かれた。また、ドイツ軍の駐屯地も置かれ、ドイツ東アフリカ海運会社の定期船も入港していた。サイザル麻やカシューナッツなどの輸出産品の開発がおこなわれたのもこの頃である。1905年には内陸部でマジ・マジ反乱が起き、リンディ州内陸部の宣教師たちがリンディへと逃れた。第一次世界大戦によってドイツが敗れると、リンディは委任統治領タンガニーカの一部としてイギリスの支配下に入った。しかしリンディ港は水深が浅く大型外洋船の入港ができないため、1947年にタンガニーカ落花生計画によって100kmほど南にムトワラの港が開港すると、タンガニーカ南部の主要貿易港はムトワラへと移り、リンディの重要性は大きく低下した。
