ルアンパバーン国立博物館
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ルアンパバーン国立博物館(ルアンパバーンこくりつはくぶつかん、ラーオ語:ຫໍພິພິດທະພັນແຫ່ງຊາດຫຼວງພະບາງ、英語:Luang Prabang National Museum)は、ルアンパバーンのプーシーの丘の麓に位置する、かつての王宮(ラーオ語:ພະລາດຊະວັງ もしくはຫໍຄຳ)を利用して作られた博物館である[1]。ルアンパバーンや周辺地域から集められた膨大な文化財が収蔵されている[2]。総面積は37,000平米[3]。
王宮は、1904年から1909年にかけて建設され、1975年の革命で廃位させられるまで、ラオス王室の住居であった[4]。シーサワーンウォン王(在位:1905~1959年崩御)および息子のシーサワンワッタナー王(在位:1959~1975年王政廃止)らの主要な居所として機能していた[2]。


この建物は1975年の王政廃止後、シーサワンワッタナーは国家主席の最高顧問に就任した。ルアンパバーンでは私邸に移り、王宮と王室のコレクションを保存し、旧君主制の歴史を伝えるために国立博物館に転換することを提案した[5]。
1976年3月31日に博物館として一般公開された[2]。現在、ユネスコ世界遺産地区の中心に位置している[4]。
ラオス国内の他の地域とは異なり、追放された王室体制のシンボル(例:王室の三頭象の紋章)や、シーサワーンウォン王の像を公然と展示しており、革命前の遺産との相互作用が許容されている稀有な空間である。
建築と様式
博物館の建物は、1904年から1909年にかけて王宮として建設された。設計は、フランスの建築家Charles Batteur[3]。当初、その建築様式はフランスの「ボザール(beaux arts)様式」とラオスの様式が混在していたが、その後、ラオスの文化に合わせて大幅な改修が行われた[2]。1930年に尖塔が設置された[3]。
建築は、伝統的なラオスのモチーフとフランスの影響が融合した様式(植民地様式)を示しており[1]、ユネスコによって価値あるものと認められたフュージョン建築の定義に該当する[4]。このフュージョン建築は、ルアンパバーンの「伝統的な建築・都市構造と、19世紀から20世紀のヨーロッパ植民地支配者のそれとの成功した融合」を代表するものとして、世界遺産登録理由の一部とされた[4]。
ルアンパバーンがフランスの保護領であった時代に、フランスの監督下、ベトナム人技術者の協力により建設された[1]。
構造的特徴
屋根は伝統的なラオス様式で、中央には金色の尖塔がある[6]。博物館の破風には三つ頭の象と、それを守るように囲む15種類のナーガが彫刻されている。これらはラーンサーン王国の象徴である[7]。
正面の階段はイタリア産大理石を使用している。エントランス両側の柱にはフランスの「フルール・ド・リス(百合の紋章)」が飾られている。内部の装飾も、ヨーロッパとアジアのデザイン要素の興味深い融合を特徴としている[6]。

建物の内部は、中央の「玉座の間」を中心としている。その側面と後方は図書室、左翼は王妃の接客室、右翼は王の接客室となっており、この翼の突き当たりは仏間とされていた[7]。
修復と再利用
1975年の革命後、王宮は一時閉鎖され、社会主義体制の初期には国家によって意図的に放置された荒廃した状態にあった[7]。しかし、ルアンパバーンが世界遺産都市となる過程で、この旧王宮の修復は重要視された。情報文化省博物館・考古学局は、王宮を「封建領主の私有財産」ではなく、「大衆の作品」であり「社会主義国家の財産」として再定義し、国家遺産として保存・保護の対象とした[7]。この修復作業では、ピア・タン(Phia Tan)ら元王室職人たちが呼び戻され、知識の提供や作業への参加を求められた[7]。
主要な展示物と芸術作品

博物館には、玉座や王が他国から受け取った贈り物、仏像コレクションなどが展示されている[2]。また奥の間では、王の寝室を含む王の私物を見学できる[4]。
2.仏間
右翼には「仏像室」がある。この部屋は就業儀式に使用される外、文化遺産として重要な仏像コレクションが納められている。かつてはパバーン仏が安置されていた。現在はホーパバーン堂へと移設された[2]。
ナーガ上の仏像 (Buddha under Naga)
蛇神(ナーガ)が頭上を持ち上げた下で瞑想する仏陀の像。石で作られており、12世紀から13世紀のクメール様式。ワット・ヴィスンから移された。
象牙の仏像
象牙から彫り出された仏像。ルアンパバーンのワット・ヴィスンから移された。
様々な仏像
木、青銅、その他の金属や素材で作られ17世紀から19世紀にかけてラオスの職人によって製作されたもの。
プラボット・トム・クワン
刺繍の壁掛け(ラーオ語:ຮູບພະບົດຖົມກ້ວງ 英語:Prabot Thom kwang)は19世紀に作られたもので、金糸で刺繍が施されている。
3.正面玄関ホール
この玄関ホール(ラーオ語:ຫ້ອງກາງ)は、歓迎会やその他の儀式に使用された。建物の正面に位置する。待合室としての使用のほか、かつて宗教的および伝統的な儀式もここで執り行われた[2]。
高座
高座(ラーオ語:ຫໍທຳມາດ 英語:Elevated chair)は高僧が説法を行う際に使用した椅子。木製で金箔で覆われている。1955年にルアンパバーンの職人によって作られた。
パテーン玉座
パテーン玉座 (ラーオ語:ພະແທ່ນ 英語:Prathan throne)は木製の長方形の玉座で、上にクッションが置かれている。花柄の彫刻が施され、金箔で覆われている。1963年にルアンパバーンの職人によって制作された。
4.国王の応接室
国王の応接室(ラーオ語:ຫ້ອງຮັບແຂກພະເຈົ້າຊິວິດ)は右翼北側にある。ここで賓客は国王の書記官によって迎えられた。その後、書記官と儀典長が賓客を国王のもとへ案内した。このような国王への謁見は、信任状の捧呈、新任政府高官の任命、大使の信任状受領や海外赴任前の訓示、その他の公式儀式のために行われた[2]。
ウン・カム王(King Oun Kham)の像
フランスで制作。ウン・カム王は1872年にランサーン・ルアンパバーン王国の統治者として即位し、1889年まで統治した。
カム・スック(ザッカリン)王(King Khamsouk / Sakkarine)の像
フランスで制作。カム・スック王はウン・カム王の息子。1890年から1904年まで統治した。
シーサワーン・ウォン王(King Sisavang Vong)の像
フランスで制作。カム・スック王の息子であるシーサワーン・ウォンは、1905年から1959年まで統治した。
応接室のキャンバス画
かつて王室の応接室として使われていた部屋の四方の壁は、1930年にフランスの女性画家アリックス・ド・フォートロー(Alix de Fautereau)による19枚の巨大なキャンバス画で覆われている[1]。制作には完全に西洋的な技法と材料が使用されている[1]。
これらの作品は、フランス人画家の視点から、当時の地元の日常生活を繊細に描き出したものである。訪問者やゲストにルアンパバーンの日常や習慣を紹介する役割を果たしていた[1]。
描かれている具体的な情景には、以下のようなものがある[1]。
- 市場:国の異なる民族グループがそれぞれの伝統衣装によって区別されて描かれている。
- 象のパレード、祝祭の日:おそらく新年を描いている。
- 寺院の前での宗教儀式
- 僧侶のいる寺院、子供たちの情景、熱帯の動物相に囲まれた伝統的な家屋。
これらの絵画は2003年にRSF(国境なき修復家)のチームによって修復された[1]。
5.回廊
回廊では、現在様々な品物がガラスケースや額縁に入れて展示されている[2]。
王室馬車の模型
この模型はワット・ヴィスンにあったもので、19世紀に制作された。
6.玉座の間
玉座の間(ラーオ語:ຫ້ອງໂຖງໃຫຍ່ 英語:Throne Hall)は、国家レベルの重要な儀式が行われる場所であった。中央には玉座があり、その両脇には「ウープ・マーク・マン・マーク・ユーン(ラーオ語 ອູບຫມາກຫມັ້ນ ຫມາກຍືນ )として知られる特別な壺が置かれている。また、戴冠式の際に灯された大きな蝋燭もある[2]。
木枠のガラス製ショーケース(右側)
部屋の右側には、彫刻が施された木枠のガラス製ショーケースがある。これはルアンパバーンの職人チャン・プーミ(Chaan Phoumi)とピア・タン(Phia Tanh)によって作られたもので、多くの貴重な品々が収められている[2]。
これらの品々の一部は、かつての王室金銀細工師であったピア・トーンがシーサワーンワッタナー王の戴冠式のために準備した黄金の王室宝物と関連している(ただし、これらの金製品が儀式で使用される前に、新しい体制への革命が起こった)。社会主義体制によって国家へ没収された後、ルアンパバーン国立博物館に展示された[7]。
上段
宝石で装飾された金の仏塔模型
15世紀にルアンパバーンのワット・マノの職人によって作られた。
金の仏像
15世紀にワット・マノの職人によって作られた。
歩行姿の金と銅の合金製仏像
15世紀にワット・マノの職人によって作られました。
下段
宝石製の仏像
台座と髪が金で作られている。16世紀製。
宝石製の仏像
台座は銅で作られている。
立像の宝石製仏像
宝石の台座に乗っている。15世紀製。
降魔(悪魔を降伏させる)の姿勢をとる宝石製仏像
16世紀製。
頂部が金の宝石製仏塔
仏塔の四面すべてに仏の顔が表されている。16世紀製。
宝石製の仏塔
16世紀製。
黄金の果実のなる木
16世紀製。
象の椅子
この椅子はヴィエンチャンのワット・シーサケットから移された。19世紀後半にヴィエンチャンの職人によって作られた。
ブロンズ製のヴィシュヌ像
この青銅像は12世紀または13世紀頃に作られた。
木枠のガラス製ショーケース(左側)
左側には、金箔が貼られた彫刻入り木枠のガラスケースがある。これもルアンパバーンの職人チャン・プーミとピア・タンによって作られた。(ただし展示品が変更されている可能性あり)
上段
- ビンロウ(噛みタバコの一種)用の金の籠
- 中には薬を入れるための小さな金の小箱がいくつか入っている。これらは16世紀にルアンパバーンのワット・ヴィスンの職人によって作られた。
- 金の蓋付き僧侶用托鉢鉢(金製)
- 16世紀にルアンパバーンのワット・ヴィスンの職人によって作られた。
- 金の八角形の花瓶(金の造花付き)
- 16世紀にルアンパバーンのワット・ヴィスンの職人によって作られた。
- 飲料水用の金のフラスコ
- 16世紀にルアンパバーンのワット・ヴィスンの職人によって作られた。
- 小さな金の「カン」(供物を入れる器)
- 16世紀にルアンパバーンのワット・ヴィスンの職人によって作られた。
- 宝石で装飾された金の旗
- 薬を入れるための蓋付きの小さな金の箱
- 石灰用の金のケース
- 石灰はビンロウを噛む際に使用される
- 宝石付きの金の指輪
- 指輪を保管するための大きな金の輪
- 指輪を保管するための多数の輪
- 小さな陶器の壺
- 金の仏像など
下段
- 青銅の歩行仏像
- 16世紀製
- ガラス装飾が施された青銅の瞑想仏像
- 15世紀頃にチェンセン(Xieng Saen)様式で作られた。
- 降魔の姿勢をとるガラス装飾付き青銅仏像
- 15世紀製。これは特に美しい作品である。
7.書斎
奥の間の右手前には王の書斎(ラーオ語ຫ້ອງສະໝຸດຂອງພະເຈົ້າຊິວິດ)がある。
8.王妃の寝室
奥の間の右奥には王妃の寝室(ラーオ語:ຫ້ອງນອນຂອງອັກຄະມະເຫສີ)がある。
9.王の寝室
奥の間の最奥部に王の寝室(ラーオ語:ຫ້ອງນອນຂອງພະເຈົ້າຊິວິດ)がある。
10.展示室
奥の間の左奥には展示室(ラーオ語:ຫ້ອງວາງສະແດງ)では伝統楽器(ラーオ語:ເຄື່ອງດົນຕີ)やプララックプララームのお面(ラーオ語:ຫົວໂຂນ)などが保管されている[2]。
11.御餐所
奥の間の左手前には王の食堂である御餐所(ラーオ語:ຫ້ອງຮັບປະທານອາຫານ)がある[2]。
12.王妃の接見室
王妃の接見室(ラーオ語:ຫ້ອງຮັບແຂກອັກຄະມະເຫສີ)は左翼棟にある。ここで迎えられた賓客は重要な賓客の夫人たちを主とした。国王の書記官と儀典長によって迎えられ、その後王妃のもとへ案内された。部屋の中の重要な品々には以下が含まれる[2]。
シーサワーン・ワッタナー王(King Sisavang Vatthana)の油絵
立っている姿の国王の肖像画で、1967年にソビエト連邦の芸術家イリヤ・グラズノフ(Ilya Glazunov)によって描かれた。
カムプイ王妃(Queen Khamphoui)の油絵
シーサワーン・ワッタナー王の妻が座っている姿が描かれている。1967年にソビエト連邦の芸術家イリヤ・グラズノフ(Ilya Glazunov)によって描かれた。
ヴォンサワーン皇太子(Crown Prince Vongsavang)の油絵
ヴォンサワーンはシーサワーン・ワッタナー王の長男で。1967年にソビエト連邦の芸術家イリヤ・グラズノフ(Ilya Glazunov)によって描かれた。
様々な芸術品
この部屋のガラスケースには、友好国から国王への国家としての贈り物の芸術品が収められている。贈り主の国には、ソビエト連邦、ポーランド、ミャンマー、カンボジア、タイ、ネパール、日本、インド、中国、アメリカ、オーストラリア、チェコスロバキア、ベトナムなどが含まれる[2]。
13.書記官の受付室
正面玄関ホール左には書記官の受付室(ラーオ語:ຫ້ອງຕ້ອນຮັບແຂກອົງລາຊະເລຂາ)がある[2]。
明白な沈黙
研究者であるPhill Wilcoxは、ルアンパバーン国立博物館への訪問者は王の寝室を含む私物を見学できるが、掲示物からもガイドからも、1975年以降の国王一家の運命については一切言及されておらず、これは「明白な沈黙」であると指摘している[4]。なお、革命後にはシーサワンワッタナー王、王妃、皇太子は再教育キャンプで亡くなったとされる[4]。
その他の施設
シーサワーンウォン王の像

敷地内には、シーサワンウォン王の像が立っている。この像は、旧王宮を訪れる際の見どころの一つとなっており、像の足元には毎日新鮮な花と線香が供えられている[4]。1975年にロシア(旧ソ連)で制作された。重量は5トンあり、1976年にラオスに運ばれ、ルアンパバーン国立博物館に設置された。右手に憲法を持っている[8]。
ホーパバーン堂

ホーパバーン堂(ラーオ語:ຫໍພະບາງ)はシーサワンワッタナー王の治世である1969年に建立が発願され、マニヴォン・カティニャラートの設計によって伽藍の建設が開始された。しかし、内戦の混乱により基壇と柱のみに留まった。革命を経て1993年に再開され、2011年8月28日に落慶した。さらに2013年12月14日には、パバーン仏像を勧請し、堂内に安置された[9][10]。
プーシー宴会場
1972年に建立された建物で、かつては国王陛下が国賓を招いての晩餐会などが執り行われた大広間。1992年からは「プーシー会議場」として、2002年からは「プラ・ラック・プラ・ラーム(ラオス版ラーマーヤナ)」(ラーオ語:ພຣະຣັກ-ພຣະຣາມ 英語:Pralak Pralam)の演舞場として使用されている[3]。
ノン・テン・ケッド(聖なる池)

この池は古来より神聖な場所として位置づけられており、今日に至るまでラオス王室およびルアンパバーンの人々から篤く信仰されている。毎年4月16日に行われるラオス正月(ピーマイ・ラーオ)の祝賀行事では、この池を中心とした重要な儀式が執り行われる。詳細は以下の通り[11]。
降臨の儀:午後7時頃、街の守護霊であるパヤー・ナーク(蛇神、別名:タオ・チャイ・チャムノン)がプーシーの丘からこの池(ノン・テン・ケッド)へ降臨するという信仰に基づき、儀式が挙行される。
ピーマイのナーガの降臨 - 周回:儀式の行列は、神聖な池の周囲を3周する習わしとなっている。
- 奉納の舞:儀式の終了後、ホーパバーン堂の前庭にて伝統舞踊が奉納され、新年の到来を祝い歓迎する。
ロング・フア・プラティナング(王室舟艇庫)
1991年にメコン川から王室ゆかりの舟艇がこの場所へ移設・安置された。それ以降、現在の名称である「王室舟艇庫(ロング・フア・プラティナング)」と呼ばれるようになった。以前は「カング・クワング」と呼ばれ、王室の広間として使われていた場所[3]。
フア・トング・プラティナング(国王・王妃両陛下専用船)
9月に執り行われる「ホー・カオ・パダプ・ディン」の際に、国王・王妃両陛下が乗船された御座船[3]。
フア・イーギアング および フア・ナング・ダム(近衛兵用船)
9月の「ホー・カオ・パダプ・ディン」の祭事にて、近衛兵が使用した護衛船。また、ボートレース(競漕)の際にも使用された[3]。
王室厨房
1974年に建設された、王族および近衛兵のための調理場。シーサワーンワッタナー国王陛下のお食事の多くは、カムプイ王妃殿下御自らが腕を振るい、調理をした。現在は会議室や来館者用の手洗い所として使用されている[3]。
王室専用車庫
1972年に建設され、王族の方々や来賓が使用する公用車が保管されていた車庫。車両の整備施設も併設されていたが、現在は手洗い所となってる。上階は近衛兵の宿舎として使用されていた[3]。現在、リンカーンコンチネンタル、エドセル、シトロエン、シーホース35、ジープなど、王の自動車コレクションが展示されている[12]。王室の運転手の肖像画も展示されている[4]。
王室診療所
1973年に建設された、国王・王妃両陛下の健康管理を行うための医療施設[3]。
寒冷期用休憩所
1972年に建設されたテニスコートに隣接する施設。寒冷期には、王家の方々が暖を取りながら御一家で団欒のひとときを過ごされた場所[3]。
近衛兵宿舎
1972年に建設された、敷地内の南側および北側のメコン川沿いに位置する建物[3]。

