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ルイーズ・アルブール

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ルイーズ・アルブール(Louise Arbour、1947年2月10日 - )は、カナダの弁護士、検察官、法学者。現在、カナダ総督(第31代)。国際連合人権高等弁務官(2004年 - 2008年)、カナダ最高裁判所裁判官、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷とルワンダ国際戦犯法廷の検察官を歴任した。ケベック州・モントリオール生まれ。

ルイーズ・アルブール(2011年撮影)

国際連合人権高等弁務官在任中にモントリオールのLGBT人権国際会議においてオピニオンリーダーとして指導的な役割を果たし、2006年7月29日に採択された「LGBT(レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の人権に関するモントリオール宣言」の成立に貢献した。さらに世界人権宣言並びに国際人権法を基にLGBT並びに性分化疾患の当事者の人権の完全な保障と絶対的差別禁止を目指して同年11月に国際法律家委員会と前国際連合人権委員会の構成員により議決されたジョグジャカルタ原則成立の発端にも影響を与えた。2008年には国連人権賞を受賞している。2009年7月より人道に関する非政府組織である国際危機グループの議長を務めている。2016年唐奨受賞。2026年5月5日、マーク・カーニー首相より次期カナダ総督に就任することが発表され[1]、6月8日に就任宣誓を行った[2]。

略歴

来歴

ケベック州モントリオールで、ホテル・チェーンを経営していたバーナード・アーバーとローズ・アーバー(旧姓ラヴァリ)のもとに生まれた。彼女は修道院系の学校に通っていたが、その在学中に両親は離婚。学校雑誌の編集者を務めた際には、型破りで臆さない人物として知られるようになった[3]。

1967年、レジーナ・アスンプタ学院(Collège Regina Assumpta)を卒業し、その後モントリオール大学に進学、1970年に法学士(LL.B.)を優秀な成績で取得した。1971年から1972年にかけては、カナダ最高裁判所のルイ=フィリップ・ピジョン判事のもとで司法書記官を務める一方、オタワ大学法学部(民法部門)で大学院課程を修了した。2014年のインタビューでアーバーは、ケベックからオンタリオへ移ったことが、自身のキャリアで成功するうえで「乗り越えなければならなかった最大の壁」だったと語っている。というのも、それまで受けてきた教育はすべてフランス語によるものだったからである[4]。彼女は1971年にケベック州弁護士会、1977年にアッパー・カナダ法律協会の弁護士資格を得た[5]。

職歴

1972-73年にカナダ法改正委員会の調査官を務めた後、ヨーク大学オズグッド・ホール・ロースクールで教員・副学部長を歴任した。カナダ市民自由協会の副会長も務め、1987年にオンタリオ州最高裁判所判事、1990年にオンタリオ州控訴裁判所判事となった。1995年にはキングストン女子刑務所での虐待疑惑を調査する調査委員会の委員長に任命され[6]、その成果は「アーバー報告書」として公表された。1996年には、タンザニア・アルーシャのルワンダ国際刑事裁判所および旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の主任検察官に就任した。彼女はジャン=ポール・アカイェスをジェノサイドで有罪に導き[7]、また現職国家元首として初めてスロボダン・ミロシェヴィッチを国際法廷で起訴した[8]。

1999年にはジャン・クレティエン首相によってカナダ最高裁判所判事に任命され、2004年まで在任し、68件の判決理由を書いた。退任後は国連人権高等弁務官となり、各国の人権状況を厳しく批判しつつ4年間務めた[9][10]。その後も国際危機グループ[10][11]、薬物政策国際委員会や死刑廃止に関する国際委員会などで活動し[11][12]、2017年には国連事務総長特別代表(国際移住担当)に就いた[13][14]。2021年にはカナダ軍における性的暴行・ハラスメント対応の独立審査を主導し[15]、2022年に48項目の提言を含む最終報告書を提出した[16][17]。

2026年5月、マーク・カーニー首相はアーバーが第31代カナダ総督に任命されると発表し[18]、6月に就任した[19]。就任式ではAI時代における国民の「警戒」を呼びかけた[20][21]。

出典

外部リンク

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