ルパン (バー)
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開業前、創業者の高﨑[注 1]雪子が昭和初期に働いていた銀座のカフェで知り合った泉鏡花、里見弴[3][4]のほか、菊池寛、久米正雄らの支援を受けた[5]。ルパンは1928年10月3日に開業した[4]。また、知人であった直木三十五らが宣伝チラシを制作したこともあり、永井荷風、川端康成、大佛次郎、林芙美子らも店に顔を出すようになった[4]。
開業当時から、女給によるサーブによって提供されており[6][7]、当時の貨幣価値で3円の紹介会員制で営業していた[8]。この形式は、1936年にカウンター・バーへ改装されるまで実施された[2][注 2]。改装にあたっては、L字形で7.5メートルと1.6メートルのヤチダモを用いたカウンターを採用した[6]。その後、戦時中は一時休業したが、被害は免れた[11]。また、昭和40年代末に入居していたビルが建替となったが、内装は以前そのままに再現された[12][13]。 文豪ストレイドッグスにもルパンが登場し、酒を酌み交わす場面が描かれている[14]。そのため多くの女性客が訪れるようになり、20代の女性や海外からの来客が急激に増えたという[14][15]。映画化公開直後には、開店と同時にカウンターの15席が女性客で埋まることも多くなった[14]。
1941年(昭和16年)
洋風店名禁止令で「麺包亭(ぱんてい)」に改称[2]。
1944年(昭和19年)
戦時政令で一斉休業[2]。
1945年(昭和20年)1月
銀座大空襲により、建物は直撃を免れるが爆風で損傷多数[2]。
1946年(昭和21年)3月[注 3]
酒類販売不可のまま、コーヒー店として再開[2][1][16]。禁制のはずのウイスキーが紅茶カップでそっと提供されることもあったという[17]。
焼け野原の銀座で営業を続ける貴重な店として、作家や出版関係者が多数来店[17][2]。同時期、木村伊兵衛、濱谷浩、秋山庄太郎などの写真家も多く来店[2]。
1946年(昭和21年)11月
坂口安吾、太宰治、織田作之助が来店し、写真家の林忠彦による写真が撮影される[2]。
1949年(昭和24年)5月
酒類の自由販売が再開[2]。
1951年(昭和26年)
姉に乞われ、高﨑武がバーテンダーとして勤務開始[18]。
1960年代
一階に、サトウ・サンペイ、小松左京、星新一、後藤明生など作家・文化人の馴染み客が増える[2]。
医学界の客が「ルパン医人会」設立(年1回の貸し切り例会)[2]。
1972年(昭和47年)
老朽化ビルは建て替えとなるが、旧内装を全て取り外し保管、開店当時のままに再現[2][19][20]。
1974年(昭和49年)
営業再開。以後は地下のみで営業(一階営業を終了)[2]。
1978年(昭和53年)
開店50周年。帝国ホテルで記念式典(発起人50名、出席250名超)が開かれる[2][21]。
1981年(昭和56年)
高﨑雪子が病で店を離れる[2]。
店の行く末を心配した高﨑雪子により、若い客中心の店へ舵を切る。太宰ファンや安吾ファンをはじめたくさんの若者が全国から集まる店となる[17]。
1995年(平成7年)
高﨑雪子、88歳で逝去[2]。
2003年(平成15年)
開店75周年で記念グラスを制作し配布[2]。
2008年(平成20年)
開店80周年でも記念グラスを制作[2]。
バーテンダーの高﨑武が逝去[2]。
2018年(平成30年)
10月3日、開店90周年を迎える[22]。文豪ストレイドッグスの大ヒットを受け、聖地巡礼するファンが増加する[3][4][22]。
店名の由来
店名の由来は、モーリス・ルブランの小説「アルセーヌ・ルパン」から[23][24]。当初、天皇即位で来日した英国グロスター公にあやかり、「グロスター」という名前にしようとしたが、不敬ということで許可が下りなかった[19][24]。そこで客の一人だった、「ルパン」シリーズの翻訳者である保篠龍緒の提案で「ルパン」という店名になった[4][24]。当時ルパン全集はポケット・サイズ版が出版され、話題を呼んでいた[24]。表に掲げられている看板も、ルパン全集のデザインから拝借している[24]。
なお、原作者のモーリス・ルブランには訳者を通して了承済みであり、ルブランは銀座に現れた「バー・ルパン」の存在を知り、ご満悦だったと言われている[24]。
文壇バー
ルパンには、銀座という土地柄から菊池寛、永井荷風、川端康成などの作家が集まっていた[25]。戦後は、川口松太郎、井伏鱒二、舟橋聖一、石川達三、開高健らも来店した[18]。それ以外にも、藤田嗣治や東郷青児、岡本太郎などの画家[4][10]、小津安二郎も店に足繁く通った[26][4]。小津は、1933年の大晦日も映画評論家らと共にルパンを訪れており、泥酔し年を越し、翌日の日記には「銀座うらの酒場ルパンで、酔から目がさめるといつのまにか正月元旦だ」と記していた[26]。
文筆家たちの写真
坂口安吾の飲み仲間であった林忠彦はルパンを事務所代わりとして使っていた[27]。そんな中、1946年11月25日、座談会「現代小説を語る座談会」「歓楽極まりて哀情多し」が開催され、太宰治、坂口安吾、織田作之助が初めて顔をあわせた。3人は座談会終了後にルパンに行き、店に居合わせた林忠彦によって写真が撮影された[26][28]。林は泥酔していた太宰から「おい、俺も撮れよ。織田ばっかり撮ってないで」と言われ、当時は「どんな作家かもよく分からず撮った」といい[29]、焦点距離を稼ぐためにトイレまで下がり、最後に1つだけ残っていたフラッシュバルブを使用して撮影した[30]。このとき撮影された写真は、その後「太宰の写真」として幅広く使われることになった[9]。また、坂口は撮影された写真を気に入り、「この一枚をもって私の写真の決定版にする」と言い、その写真を大量に焼き増しさせ、さらにはメディアからの写真の撮影依頼の度にこの写真を渡していた[27]。太宰が撮られた写真はブローニー判で撮影されており、坂口の後ろ姿も写っていた[31]。その日に撮影された3人の写真は、その後も店内に飾られている[32]。
- 太宰治と坂口安吾の後ろ姿
- 坂口安吾
- 織田作之助
- 3人の写真が飾られた店内
メニュー

人気メニューはシングルモルト、モスコー・ミュールなど[3]。銀座にあるバーは価格が高いといわれている中で「安心して飲んでほしい」と、2002年頃からメニュー表も店内に置いている[26]。
坂口安吾はゴールデン・フィズを愛飲していた[33]。当時の店主であった高﨑武は「このカクテルは、卵の黄身が入るので、作るのにちょっと手間がかかるんです。それを安吾さんは次々に空けては繰り返し注文したので、よく覚えているんです」と語る[33]。風邪を引いて体調が悪かった坂口に提供したところ、何杯も飲んだことがきっかけ[26][34]。坂口安吾は静岡県伊東に在住当時、ルパンのバーテンダーに教えてもらったゴールデン・フィズを妻の坂口三千代に作らせ、自宅に訪問してきた編集者に飲ませていた[35]。
ルパンが登場する作品
エッセイ
- 「泥酔三年[37]」(「明日は天気になれ」収録)-坂口安吾によるエッセイ。ルパンが戦前から名のある銀座のバーであったこと、ルパンという地下室の酒場で、サントリーやニッカやトミーモルトを呑んでいたこと、この時酒専門の酒場であったことが書かれている。
- 「酒豪日本一[37]」(「明日は天気になれ」収録)-坂口安吾によるエッセイ。熱海で仕事をしていた際、銀座のルパンからサントリーを一ダースとりよせていたことが書かれている。
- 「ちかごろの酒の話[38]」-坂口安吾によるエッセイ。新聞でメチルによる死亡記事が出てきたとき、銀座のルパンでだけウヰスキーを飲むことにしたことが書かれている。
ライトノベル
- 小説「文豪ストレイドッグス 太宰治と黒の時代」(角川ビーンズ文庫)
漫画「文豪ストレイドッグス」の原作者・朝霧カフカによる、ポートマフィア時代の太宰治が登場する小説第2巻[39]。作中、ルパンで太宰治、織田作之助、坂口安吾ら3人が共に会話するシーンがある。口絵ページにも、3人がルパンにいるイラストが描かれている[40]。
アニメ
2016年10月6日放送[41]。小説「文豪ストレイドッグス 太宰治と黒の時代[40]」のアニメ版。同じくルパンが登場する[42]。
- アニメ「文豪とアルケミスト ~審判ノ歯車~[43]」OP
ゲーム「文豪とアルケミスト」のオリジナルテレビアニメ(2020年4月3日~2020年8月8日放送)。00:18あたりからルパンのカウンターに、中原中也、坂口安吾、織田作之助、太宰治が座っている姿が登場する。カウンター右手には、店主の高崎冬子の色紙が確認できる。また00:20のシーンでは、右上にルパンのマッチも登場する[43]。OPの演出・監督を担当した神風動画の加藤緑里・加藤汐里はルパンに取材しており、有名な太宰の写真は、椅子2脚ではなく3脚並べて使われていることを知り、その内容をOPに反映している[44]。またこの時の取材から、ルパンで使用されているショットグラスもOPに登場している[44]。
- アニメ「文豪とアルケミスト」第3話「桜の森の満開の下 後編」
2020年4月17日放送[45]。回想シーンで、ルパンで太宰治、織田作之助、坂口安吾が談笑するシーンが描かれる。「Lupin」と書かれた扉や、階段を地下に下るシーン、カウンターが登場する。アニメのノベライズ版では、「銀座の路地裏に、『バー・ルパン』はある。」と具体的な店名が書かれている[46]。