ルーカス・バリオス
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パルメイラスでのバリオス(2015年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| 本名 | Lucas Ramón Barrios Cáceres[1] | |||||
| 愛称 | パンサー[2] | |||||
| ラテン文字 | Lucas Barrios | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1984年11月13日(41歳) | |||||
| 出身地 | ブエノスアイレス | |||||
| 身長 | 187cm[3] | |||||
| 体重 | 83kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| Mitre[4] | ||||||
| Juventud de Liniers[4] | ||||||
| 1999-2002[4] | バラカス・セントラル[4] | |||||
| Pacífico[4] | ||||||
| ウラカン[5] | ||||||
| アルヘンティノス・ジュニアーズ[5] | ||||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2002-2004 |
| 17 | (5) | |||
| 2003-2004 |
→ | 16 | (0) | |||
| 2004-2005 |
| 28 | (11) | |||
| 2005-2006 |
| 12 | (1) | |||
| 2006-2007 |
| 39 | (26) | |||
| 2007 |
| 14 | (1) | |||
| 2008-2009 |
| 53 | (49) | |||
| 2009-2012 |
| 83 | (39) | |||
| 2012-2013 |
| 17 | (5) | |||
| 2013-2015 |
| 16 | (2) | |||
| 2014-2015 |
→ | 31 | (11) | |||
| 2015-2017 |
| 22 | (6) | |||
| 2017 |
| 17 | (4) | |||
| 2018 |
| 12 | (4) | |||
| 2018 |
| 14 | (3) | |||
| 2019 |
| 17 | (4) | |||
| 2020-2021 |
| 16 | (3) | |||
| 2021 |
| 12 | (2) | |||
| 2022 |
| 6 | (1) | |||
| 2023 |
| 19 | (4) | |||
| 2023-2024 |
| 30 | (4) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 2010-2017 |
| 36 | (10) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
ルーカス・ラモン・バリオス・カセレス(Lucas Ramón Barrios Cáceres スペイン語発音: [ˈlukas raˈmon ˈbarjos ˈkaseɾes], 1984年11月13日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のパラグアイ人元サッカー選手。元パラグアイ代表。現役時代のポジションはフォワード。
南米やメキシコのクラブを渡り歩いた後、移籍金420万ユーロでボルシア・ドルトムントへ移籍[2]。1年目からレギュラーに定着し19得点を挙げた。2010-11シーズンは前年よりは減ったもののチーム最多の16得点を挙げ、ドルトムントの攻撃の中心としてブンデスリーガ制覇に貢献した[2]。
しかし、2011-12シーズンは故障の影響からロベルト・レヴァンドフスキにスタメンを奪われた。冬の移籍市場での放出も噂されたが残留。チームはブンデスリーガ2連覇を果たす。
2012年5月、広州恒大足球倶楽部への移籍が発表された。移籍金は850万ユーロ。契約は4年間で6月1日からの加入になる。
しかし、出場機会があまり訪れす退団を表明[6]、2013年8月10日、FCスパルタク・モスクワへの移籍が発表された[7]。
2014年8月12日、モンペリエHSCに買い取りオプション付きでのレンタル移籍が決定した[8]。
2015年7月16日、パルメイラスに移籍した[9]。契約期間は3年、背番号は10番。
2018年1月、古巣のAAアルヘンティノス・ジュニアーズに加入するに合意したと発表された[11]。
2020年1月18日、クラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタに加入した[12]。
代表経歴
母親がパラグアイ人のため2010年4月にパラグアイ国籍を取得し、5月4日にパラグアイ代表に初選出された。2010 FIFAワールドカップパラグアイ代表にも選ばれ、主将となった[13](ただしゲームキャプテンはフスト・ビジャールが務めている)。同月26日の親善試合・アイルランド戦で初出場を果たし、初得点も挙げた。ワールドカップでは無得点に終わったものの全5試合に出場し、パラグアイの初のベスト8進出に貢献した。
コパ・アメリカ2011でもレギュラーとして全試合に出場。グループリーグのベネズエラ戦の1得点のみに終わったものの、パラグアイの準優勝に貢献した。しかし決勝のウルグアイ戦で負傷してしまい、開幕を控えたブンデスリーガの序盤戦の欠場を余儀なくされた。
プレースタイル
両足やヘディングによる得点力だけでなく、フィジカルを活かしたボールのキープやオフ・ザ・ボールの動きで、味方にスペースを与える能力に長けている[2]。