レッジ・ヒル
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戦後
アンダーソン夫妻との関係
1954年に、ペンタゴン・フィルムズで美術係として働いているときに、ヒルはジェリー・アンダーソンと出会った。アンダーソンはちょうどアーサー・プロヴィスとアンダーソン―プロヴィス(AP)フィルムズを設立したところだった。ヒルはその会社のプロダクションデザイナーとなった。最初は、タップロウを拠点とし、APフィルムズはニコラス・パーソンズも出演した「ブルー・カーズ」などのテレビ向けコマーシャルを製作していた。仕事がないときにはウォルトン・スタジオズで製作されていたテレビ番組『ジ・アドヴェンチャーズ・オヴ・ロビン・フッド』(1957年)などの様々な番組にも関わった[5]。
APフィルムズにロバータ・リーが訪れ、自身の絵本を原案としたテレビ番組の製作依頼を持ちかけてきて、そうして『ジ・アドヴェンチャーズ・オブ・トゥイズル』と『トーチー・ザ・バッテリー・ボーイ』が1950年代の終わりにかけて製作された[6]。ヒルは美術にかかわる物全て、セット、人形デザインから特撮まで関わった。リーとの関係が終わり、ニコラス・パーソンズが保安官テックス・タッカーを演じる新番組『ウエスタン・マリオネット 魔法のけん銃』が始まった。この時代にアンダーソンの低予算映画『クロスローズ・トゥ・クライム』(1960年)にも関わった[7]。
ルー・グレイドの元での仕事
1962年にAPフィルムズはATVの取締役ルー・グレイドに売却され[8]、1966年には「センチュリー21プロダクションズ」に改名された。グレイドがAPフィルムズに資金提供を行うと『スーパーカー』が製作され、ここでヒルはキャラクター、メカ、セットのデザインを行い、何本か脚本も担当した。この番組によってアンダーソンはSFテレビ番組の世界へと踏み出すこととなった。
一連の人形劇と俳優を起用したテレビ番組は『宇宙船XL-5』、『海底大戦争 スティングレイ』、『サンダーバード』、『キャプテン・スカーレット』、『ジョー90』、『ロンドン指令X(人形劇とライブ・アクションが組み合わせられた)、『謎の円盤UFO』(ほぼライブ・アクション)と続いた。この間に美術監督、製作、製作総指揮として関わる傍ら、ヒルは番組コンセプト、メカ、キャラクター、セット・デザインにも関わり続けた。
それらに加えてヒルは『サンダーバード』の二本の映画『サンダーバード 劇場版』(1966年)と『サンダーバード6号』(1968年)にも関わった。また『決死圏SOS宇宙船』(1969年)ではデザイナーとして参加した[9]。
1972年には新しく「グループ3プロダクションズ」(ジェリー・アンダーソン、シルヴィア・アンダーソン、ヒルの三名が出資した)が設立され、『プロテクター電光石火』と『スペース1999』を製作した。この会社は1975年に「ジェリー・アンダーソン・プロダクションズ」となり、『スペース1999』の第2期が製作された。