レッティンゲン
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | バイエルン州 |
| 行政管区: | ウンターフランケン行政管区 |
| 郡: | ヴュルツブルク郡 |
| 市町村連合体: | レッティンゲン行政共同体 |
| 緯度経度: | 北緯49度30分41秒 東経09度58分16秒 / 北緯49.51139度 東経9.97111度座標: 北緯49度30分41秒 東経09度58分16秒 / 北緯49.51139度 東経9.97111度 |
| 標高: | 海抜 243 m |
| 面積: | 27.21 km2 |
| 人口: |
1,673人(2023年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 61 人/km2 |
| 郵便番号: | 97285 |
| 市外局番: | 09338 |
| ナンバープレート: | WÜ, OCH |
| 自治体コード: |
09 6 79 182 |
| 行政庁舎の住所: | Marktplatz 1 97285 Röttingen |
| ウェブサイト: | www.roettingen.de |
| 首長: | ヘルマン・ガーベル (Hermann Gabel) |
| 郡内の位置 | |
| 地図 | |
![]() | |
レッティンゲン (ドイツ語: Röttingen) はドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン地方のヴュルツブルク郡に属す市でレッティンゲン行政共同体の本部所在地である。
位置
レッティンゲンはヴュルツブルクの南約35kmのバイエルン州内に位置し、直接バーデン=ヴュルテンベルク州と境を接している。この街はヴュルツブルク郡南端の街である。
気候
タウバー川周辺は、川の流れは豊ではあるが、その気候はバイエルン州内の比較的乾燥した地域に属す。また比較的温暖な地域でもあり、気温が30℃を超える夏日が30日程度ある一方、0℃を下回る冬日は10日ほどしかない。
市の構成
本市は、公式には4つの地区 (Ort) からなる[2]。このうち小集落や孤立農場などを除く集落を以下に列記する。
- アウフシュテッテン
- レッティンゲン
- シュトリュート
歴史
この街の創成期は明らかでない。5世紀後半にアレマン人の "Ruoter族" (→ Ruotingen → Röttingen)が初めてレッティンゲンを築いたと推測されている。はっきりと文献に記録されたのは1103年であった。1275年にはレッティンゲンに都市権が授けられた。1298年、この街はリントフライシュ迫害運動の震源地となった。
最初はホーエンローエ家の所領であったが、後にヴュルツブルク司教領に移された。14世紀からレッティンゲンは代官の所在地となった。これは司教領主の支配領域拡大を意味している。

ドイツ農民戦争は、レッティンゲンを無傷のままにして通り過ぎてはくれなかった。この街の経済活動はこの戦争で機能停止の状態となった。長年の司教領主支配下で初めてユリウス・エヒター・フォン・メスペルブルンはこの街の主にブドウ栽培に依存した経済を拡大強化した。三十年戦争ではレッティンゲンは4回も略奪や強奪の被害を受け、その後グスタフ2世アドルフの時代にタウバー渓谷は戦場となった。16世紀から17世紀の戦争で、この街と市民は廃墟の縁にまで追いやられた。
世俗化により、聖界諸侯領が廃止され、レッティンゲンはバイエルンのウンターマイン郡に属すこととなった。バイエルン王は1837年にフランケンをオーバー、ミッテル、ウンターフランケンの3つの分割した。1919年にレッティンゲンは独立した自治体となった。
人口
- 1970年 1,988人
- 1987年 1,733人
- 2000年 1,789人
- 2006年12月31日 1,663人
宗教
行政
市議会
レッティンゲンの市議会は12議席からなる。
市長
2020年3月15日の市長選挙では、ヘルマン・ガーベル (Zukunft Röttingen) が 60.99 % の票を獲得して、新たな市長に選出された[3]。
姉妹都市
経済
文化と見所

演劇祭
ブラッテンシュタイン城の中庭では、1984年から毎年演劇祭が開催されている。
博物館
- バックスケラーのブドウ栽培小博物館: レッティンゲンのブドウ栽培の歴史を記録している。
- ブドウ畑博物館「フォイアーシュタイン」には博物館のブドウ畑がある。広さ1800m2の畑は、1950年代めでのブドウ栽培の歴史を示す3つの部分に分けられている。
- 市庁舎内には民俗文化や市の歴史を示す品物(古い家具、フランケン地方の民族衣装、ツンフトの長持や旗、武器、石器時代の出土品)が展示されている。
歴史的建造物
- バロック様式の市庁舎(1750年)4階建て、切石造りの重厚な建物で、時計塔を載せたマンサード屋根(二重勾配の腰折れ屋根)や錬鉄製の噴水を持つ。
- ブラッテンシュタイン城(1230年に最初の文献記録が現れる)12 - 13世紀に中心部が造られ、17世紀の初めに大きく改造された。19世紀にはさらに改築されている。ベルクフリート(主塔)と堀の遺構が遺されている。
- 聖キリアン教区教会(13世紀)ホール式教会。中心部分は後期ロマネスク建築である。内陣部は14 - 15世紀に建てられた。1606年から1614年に改造がなされた。
- ホーハーバウ(13世紀)塔型の石造の基部に15世紀に木組み建築の上層が載る形の建物。かつてはドイツ騎士団の所有であった。
- 聖ゲオルク礼拝堂(15世紀)カトリックの墓地礼拝堂。長方形のホール式建築である。
- ユリウス・エヒター・シュティフト: 3階建て。細長いルネサンス建築で、1614年から15年にユリウス・エヒター・フォン・メスペルブルンによって建設された。現在は老人ホーム・養護ホームとして利用されている。
- 7つの良好な保存状態の塔を持つ市壁: 遺されている塔は、ミューレン塔、古いフントハイムの門塔、新しいフントハイムの門塔、シュヴァイネヒルテン塔、ヤーコプス塔、シュネッケン塔、リッパハ塔である。
