レン・サカタ

アメリカの元プロ野球選手、指導者(1953-) From Wikipedia, the free encyclopedia

レン・ハルキ・サカタ(Lenn Haruki Sakata、日本名:坂田 春樹〈さかた はるき〉、1953年6月8日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル出身の元プロ野球選手内野手)、指導者、監督日系アメリカ人三世[1]

生年月日 (1953-06-08) 1953年6月8日(73歳)
身長
体重
173 cm
75 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
レン・サカタ
Lenn Sakata
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ハワイ州オアフ島ホノルル
生年月日 (1953-06-08) 1953年6月8日(73歳)
身長
体重
173 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手
プロ入り 1975年 MLBドラフト1巡目(全体10位)
初出場 1977年6月21日
最終出場 1987年6月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
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来歴

プロ入り前

ホノルルで野球を始め、1970年にはカラニ高校でハワイ州選手権に優勝。この時のチームメイトに投手のライアン・クロサキがいた。

1972年、ドラフト14巡目(全体331位)でサンフランシスコ・ジャイアンツに指名されるも拒否。

1974年、ドラフト5巡目(全体97位)でサンディエゴ・パドレスに指名されるも拒否。

プロ入り後

1975年ワシントン州ゴンザガ大学時代にドラフト1巡目(全体10位)でミルウォーキー・ブルワーズに指名され入団し、1977年7月21日のニューヨーク・ヤンキース戦でマイク・ラム、クロサキに続く日系人として3人目のメジャーデビューを果たす。

1980年12月6日ジョン・フリン英語版とのトレードでボルチモア・オリオールズに移籍。内野のユーティリティプレイヤーとして活躍。1983年のワールドシリーズ優勝メンバーとして1984年に来日している。1985年11月12日にFAとなった。

1986年2月1日オークランド・アスレチックスと契約。11月12日、FAとなった。12月17日ニューヨーク・ヤンキースと契約。

1987年11月2日に放出され、日本の南海ホークスが獲得に乗り出し契約寸前にまで至るものの、長打力の無さに杉浦忠監督が難色を示したとされ、日本球界入りは幻となった。結局同年限りで現役を退いた。

現役引退後

1988年よりコーチとしてのキャリアをスタート。オークランド・アスレチックスサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のマイナーリーグで指揮を執る。

1995年、当時千葉ロッテマリーンズゼネラルマネージャーだった広岡達朗に請われ、ロッテの二軍監督に就任し、一軍監督となったボビー・バレンタインを補佐した。バレンタインと広岡が意見対立を起こし、双方が退団した後もサカタはロッテに留まり、1998年まで二軍内外野守備走塁コーチなどを歴任。当時ロッテの選手で指導を受けた小坂誠は「私にとって大きな影響を与えて下さった方です。守備の基本的な考え方、脚の使い方、身体の使い方など手取り足取り教えて頂きました」と述べている[2]

1999年カリフォルニアリーグに所属するサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下A+級サンノゼ・ジャイアンツ英語版の監督に就任。

2000年、ジャイアンツ傘下A級ベーカーズフィールド・ブレイズ英語版の監督に就任。

2001年、A+級サンノゼの監督に復帰。優勝を果たした[3]

2002年、ジャイアンツ傘下AAA級フレズノ・グリズリーズの監督に就任。全体14位と低迷し、この年限りで解雇された。

2004年、サンノゼの監督に三たび復帰。2007年まで監督を務め、通算705勝を記録した[4]

2008年、バレンタインが指揮するロッテの二軍監督に復帰し2009年まで務めた。

2011年コロラド・ロッキーズ傘下A級アッシュビル・ツーリスツの打撃コーチに就任[5]

2012年、ロッキーズ傘下A+級モデスト・ナッツの監督に就任。カリフォルニアリーグの北地区優勝を果たした。

2013年7月、モデスト・ナッツが前期4位と低迷したため、監督を解任された[6]

2014年、ジャイアンツA+級サンノゼの監督に4度目の就任。

2019年、カリフォルニアリーグの殿堂入りを果たし、背番号「14」はサンノゼの永久欠番となった[7]

2020年、ジャイアンツ傘下ショートシーズンA級セーラム=カイザー・ボルケーノス英語版の監督に就任したが[8]新型コロナウイルスの感染拡大の影響でマイナーリーグが開催されなかったため、実際に指揮を執ることはなかった。

2021年、サンノゼの監督に5度目の就任[7]。76勝44敗という圧倒的な成績でチームをリーグ王者に導いたが[9]、この年限りで勇退した。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球 団 ...
















































O
P
S
1977 MIL 53169154132520233121360900221.162.209.214.423
1978 3086788154001931000810113.192.267.244.511
1979 414141720091000000010.500.500.6431.143
1980 BAL 43908312163212692101600103.193.244.313.558
1981 611641501934405531540111101185.227.282.353.636
1982 136389343408918161273174843024397.259.323.370.693
1983 661521342334703501284101601174.254.338.373.711
1984 81168157233010340114150620154.191.221.255.476
1985 551059715223033463210601153.227.279.351.629
1986 OAK 173834412200145010130061.353.395.412.807
1987 NYY 194845512012204010020142.267.313.444.757
MLB:11年 56514231289163296464254251093017227975815833.230.286.330.616
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背番号

  • 21 (1977年)
  • 2 (1978年 - 1979年)
  • 12 (1980年 - 1985年)
  • 17 (1986年)
  • 11 (1987年)
  • 71 (1995年 - 1998年)
  • 80 (2008年 - 2009年)

脚注

外部リンク

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