レ・ルース
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| Les Rousses | |
|---|---|
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| 行政 | |
| 国 |
|
| 地域圏 (Région) | ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏 |
| 県 (département) |
ジュラ県 |
| 郡 (arrondissement) | サン=クロード郡 |
| 小郡 (canton) | モレ小郡 |
| INSEEコード | 39470 |
| 郵便番号 | 39220, 39400 |
| 市長(任期) |
ベルナール・マメ[1] (2014年-2020年) |
| 自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes de la Station des Rousses |
| 人口動態 | |
| 人口 |
3276人 (2014年) |
| 人口密度 | 86人/km2 |
| 住民の呼称 | Rousselands, Rousselandes |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯46度29分11秒 東経6度03分45秒 / 北緯46.4863888889度 東経6.0625度座標: 北緯46度29分11秒 東経6度03分45秒 / 北緯46.4863888889度 東経6.0625度 |
| 標高 |
平均:m 最低:720 m 最高:1300m |
| 面積 | 38km2 |
| 公式サイト | http://www.mairielesrousses.fr/ |
レ・ルース (Les Rousses)は、フランス、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏、ジュラ県のコミューン。
レ・ルース、ボワ・ダモン、ラムーラ、プレマノンにまたがるレ・ルース・スキー場(fr)がある。
歴史

レ・ルースの村の名前はおそらく、アルピタン語で岩を意味する(Les Roches)方言形の言葉、Les Rôtzからきているという。しかしこの説は不確実であり、他に説明がある。rousessという言葉は、『一掃された土地』や『丸太でつくった小屋』(ラテン語ではruptias)を意味しており、この地方では一般的にみられるものである。
地元の地名学では、les Roussesは必ずしも中世に起こった未開地一掃の時代に言及したものではない。ラムーラのように、後の時代になって定住が行われたコミューンもある。中世の後期まで、この地方は司祭や羊飼いたちしか通らない、原生林に覆われていた。
家畜の飼料の土地、夏の牧草地であった村そのものは、16世紀初めになって歴史上に姿を現す。農業技術と大鎌の使用が普及して、十分に草が刈り取れるようになり、長い冬の間家畜を養えるようになった。礼拝堂が出現するのは16世紀終わりであり、教区が置かれるのは1612年である。一方、新たなコミューンとしてボワ・ダモンが18世紀半ばにレ・ルースから分離している。
最古のレ・ルース住民は通信上の自然の軸に定住した。鎖状のジュラの峰々を横切る、ジヴリーヌ峠である。ジヴリーヌ峠は、レマン湖地方とスイス東部の地方に比較的容易に行き来できたのである。
レ・ルースは数度の国際条約の交渉の場となった。
- 1862年12月8日 - ダップ条約。フランス=スイス間国境の修正。ラ・キュール集落はスイス領となった。
- 1962年2月18日 - 同年3月18日に調印されたエビアン協定の事前会談
2か所の砦、レ・ルース砦とリズー砦が、谷の防衛のために19世紀に建設された。スイスを横断して敵対勢力が侵攻してくるのに対抗するためである。これらの2か所の砦は急速な大砲の開発でたちまち時代遅れになり、その後は単なる兵舎やトレーニングセンターとなり、実際に軍事的役割を果たしたことはなかった。
町のマスコットは、この地方に多く生息しているアカギツネである。
人口統計
交通
1921年、ニヨン・サン・セルグ・モレ鉄道のメートル法路線完成により、レ・ルースはスイスのニヨンやモレとの往来の恩恵を受けた。この路線のフランス側は1958年に廃止された。スイス側の対フランス国境最後の駅があるラ・キュールが終点となっている。


