ロンデル・ホワイト
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| 基本情報 | |
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| 出身地 |
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| 生年月日 | 1972年2月23日(53歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 205 lb =約93 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1990年 ドラフト1巡目(全体24位) |
| 初出場 | 1993年9月1日 |
| 最終出場 | 2007年9月30日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ロンデル・バーナード・ホワイト(Rondell Bernard White,1972年2月23日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州ミレッジヴィル出身の元プロ野球選手(外野手)。
1990年のMLBドラフトでモントリオール・エクスポズから1巡目(全体24位)に指名を受け、6月8日に契約[1]。
1993年はAA級ハリスバーグとAAA級オタワの2階級合計で打率.343・19本塁打・12三塁打・84打点・31盗塁・出塁率.390[2]の好成績を挙げ、セプテンバー・コールアップでメジャーに昇格。9月1日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャーデビューを果たした。
1994年は開幕をメジャーで迎え、40試合に出場するもストライキでシーズンが打ち切られた。 1995年はマーキス・グリッソムがトレード移籍後のセンターのレギュラーに定着。6月11日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦ではサイクルヒットを含む6安打を放つ[3]活躍を見せるなど、打率.295・13本塁打・25盗塁を記録。広角に打ち分ける打撃と強肩俊足を活かした守備、特にダイビングキャッチやヘッドスライディングなどの派手なプレーで一躍脚光を浴びた。オフには緊縮財政のチームにあって異例の5年契約を結んだ。
1996年は4月27日のロッキーズ戦で、ラリー・ウォーカーの飛球をキャッチしようとしてフェンスに激突。内臓破裂で2ヵ月間の長期離脱を余儀なくされた。1997年はキャリアハイの28本塁打を放つ一方でキャリアワーストの111三振を喫した。1999年はキャリアハイの打率.312・22本塁打を記録。
2000年7月31日に、スコット・ダウンズとの交換トレードでシカゴ・カブスへ移籍[1]。2001年は規定打席未達ながら打率.307・17本塁打・長打率.529の好成績を残した。11月5日にフリーエージェントとなり、12月21日にニューヨーク・ヤンキースと契約[1]。
自身初のアメリカンリーグ所属となった2002年は主にレフトで出場[4]し打率.240・14本塁打・出塁率.288と低調だったが、チームは5年連続で東地区優勝。これも自身初のポストシーズンとなったアナハイム・エンゼルスとのディビジョンシリーズでは、第1戦の5回裏にジャロッド・ウォシュバーンから一時勝ち越しとなる本塁打を放つ[5]など勝利に貢献したが、第2戦以降は出番が無くチームも1勝3敗で敗退した。
2003年3月19日に、バッバ・トランメル及びマイナー1選手プラス金銭との交換トレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍[1]。6月20日のシアトル・マリナーズ戦でジェフ・ネルソンから逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ[6]など前半戦で16本塁打を記録し、自身最初で最後のオールスターゲームに選出された。8月26日にブライアン・サンチェス及びマイナー1選手との交換トレードでカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍。シーズン通算でキャリアハイの87打点を挙げた。10月27日にFAとなり、12月19日にデトロイト・タイガースと契約[1]。
2004年は開幕戦でロイ・ハラデイから3点本塁打を放つ[6]。ホームでの打率.230・5本塁打に対し、アウェイでは打率.306・14本塁打[7]と「外弁慶」だった。2005年10月27日にFAとなり、12月22日にミネソタ・ツインズと契約[1]。
2006年は打率.246・7本塁打と振るわなかったが、チームは最大12.5ゲーム差を付けられていたタイガースに終盤で追いつき、最終戦で2年ぶりの中地区優勝を決めた[8]。オークランド・アスレチックスとのディビジョンシリーズでは第1戦で本塁打を放つなど打率.417[9]と気を吐くが、チームは3連敗で敗退した。 2007年は打率.174に終わり、同年限りで現役を引退。