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ヴィクトリエイ通り

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旧名モゴショアヤ舗装道路
全長2.7 km (1.7 mi)
最寄りの地下鉄駅ピアツァ・ウニリイ駅
ウニヴェルシタテ駅
ピアツァ・ヴィクトリエイ駅
ヴィクトリエイ通り
Calea Victoriei
国立美術館の南側から南方を望む
旧名モゴショアヤ舗装道路
全長2.7 km (1.7 mi)
所在地ルーマニアの旗 ルーマニア、ブカレスト
最寄りの地下鉄駅ピアツァ・ウニリイ駅
ウニヴェルシタテ駅
ピアツァ・ヴィクトリエイ駅
座標北緯44度26分31.49秒 東経26度5分38.57秒 / 北緯44.4420806度 東経26.0940472度 / 44.4420806; 26.0940472座標: 北緯44度26分31.49秒 東経26度5分38.57秒 / 北緯44.4420806度 東経26.0940472度 / 44.4420806; 26.0940472
南端スプライウ・インデペンデンツェイ
主な交差点革命広場
北端ヴィクトリエイ広場
整備
落成1692年 (1692)

ヴィクトリエイ通りまたは勝利通り (ルーマニア語: Calea Victoriei) は、ブカレスト中心部を貫く通りである。セクター1に位置し、ドゥンボヴィツァ川沿いのスプライウ・インデペンデンツェイから2.7km北上して、ヴィクトリエイ広場でキセリョフ道路に接続する。

1935年のヴィクトリエイ通り。左手にホテル・キャピトル、右手にカーサ・カプサがある。奥の高い建物は電話宮殿
1940年代のヴィクトリエイ通り。郵便宮殿(現在の歴史博物館)とCEC宮殿(左)

もともと、現在のヴィクトリエイ通りは、「大通り (Ulița Mare)」や「ブラショヴ道路 (Drumul Brașovului)」と呼ばれており、ブカレストとトランシルヴァニアのブラショヴを結ぶ交易路の一部となっていた[1][2]。1692年、君主のコンスタンティン・ブルンコヴェアヌが通りを木材で舗装し、バラチェニ、セント・ジョン修道院、ズラタリ修道院、カンタクゼノス、サリンダリ修道院を通る道路が整備された[3]。1692年以降は、ブカレスト中心部と、市内から数キロほど郊外にあるブルンコヴェアヌのモゴショアヤ宮殿を結んだことから「モゴショアヤ舗装道路 (Podul Mogoșoaiei)」と呼ばれるようになった[3]。

当時、バルカン半島のほとんどの道路は、春や秋になるとぬかるんだが、モゴショアヤ舗装道路は木材で覆われていたためこれを防ぐことができた。そのため、この道路は地域内で最も重要な構造物の1つであり、ブカレスト市民の誇りでもあった。通り沿いは、ブカレストの最高級市街地となり、1775年には35のボヤールの屋敷が存在した[4]。

モゴショアヤ舗装道路は、ブカレストで初めて、1814年7月から夜間に街灯がともされた[5]。

木材はそれほど丈夫な素材ではなく、道路の状態が悪くなることも多かったため、1793年や1814年など、何度か修理が行われた。露土戦争後、ロシアがドナウ諸公国を占領すると、占領軍の指揮官、パーヴェル・キセリョフは、ヴィクトリエイ広場の北側に延びる道路を建設した。今日では、この道路は彼の名に因んでキセリョフ道路と呼ばれる。1842年、道路は玉石で舗装され、後にアスファルトへと更新された。

1878年10月12日には、ルーマニア独立戦争の勝利を記念して、通りが「ヴィクトリエイ通り(勝利通り)」に改められた[6]。

現在では、通り沿いに新しいファッション店、アートブティック、コーヒーショップ、レストランが建ち並び、ブカレストの高級ショッピング街となっている。

沿道

出典

参考文献

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