ヴィクトル・クプラゼ

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ヴィクトル・クプラゼ[1]グルジア語: ვიქტორ კუპრაძე, : Виктор Купрадзе, グルジア語ラテン翻字: Viktor Kupradze1903年11月2日 - 1985年4月25日(1985-04-25) )は、ソヴィエト連邦時代のグルジアジョージア)の数学者

1903年、鉄道作業員の家庭に生まれた。1922年にクタイシ実科学校グルジア語版を卒業し、トビリシ国立大学物理学数学部で学んだ[2]。1927年に学位を取得し、3年間同大学で働いた。1929年、26歳にして科学論文を発表した[3]

ニコロズ・ムスヘリシヴィリのすすめでソ連邦科学アカデミーに赴き[4]、1930年よりステクロフ数学研究所にてクリロフ英語版スミルノフに師事した[5]。1935年に科学博士号を取得した。

グルジアに帰国して、1937年にトビリシ国立大学で教授に就任した[6]。1941年に勃発した大祖国戦争では赤軍に属した。1943年に復員しトビリシ国立大学の副学長に就任した。しかし特命を受けてドイツ軍との前線であったクリミアプロパガンダ用の新聞を編集したこともあった[7]。1944年から1953年までグルジア教育省大臣、翌年から1958年までトビリシ国立大学学長を務めた[8]

1946年から1963年の間、クプラゼはグルジア共産党英語版中央委員会委員であった。1949年から1952年までソビエト連邦最高会議代議員、1954年から1963年までグルジア・ソヴィエト社会主義共和国最高会議英語版議長、1962年から1966年までグルジア数学会英語版会長を務めた[9]。1955年、ソヴィエト連邦を代表して第10回国際連合総会に出席した[10]

研究

クプラゼは100を超える論文を発表した。研究範囲には数理物理学力学弾性論、微分積分方程式論が含まれている[11][12]

境界値問題

クプラゼは非有界集合におけるヘルムホルツ振動方程式境界値問題を研究した最初の学者である[13]ゾンマーフェルトが1912年に定式化した放射原理を数学的に検証することで、この境界値問題の解の一意性を証明しフレドホルム積分方程式に帰着させることに成功した。

栄典

出典

参考文献

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