ヴェルサイユ・ノートルダム教会

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用途 カトリック教区教会
構造形式 古典様式、バジリカ
着工 1684
ヴェルサイユ・ノートルダム教会
教会正面
情報
用途 カトリック教区教会
設計者 ジュール・アルドゥアン=マンサール
構造形式 古典様式、バジリカ
着工 1684
所在地 78000
35, rue de la Paroisse, Versailles, France フランスヴェルサイユ
座標 北緯48度48分27秒 東経2度07分43秒 / 北緯48.80750度 東経2.12861度 / 48.80750; 2.12861 (ヴェルサイユ・ノートルダム教会)座標: 北緯48度48分27秒 東経2度07分43秒 / 北緯48.80750度 東経2.12861度 / 48.80750; 2.12861 (ヴェルサイユ・ノートルダム教会)
文化財 2005
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ヴェルサイユ・ノートルダム教会(Notre-Dame de Versailles)は、フランスヴェルサイユ市のカトリック教会である。ルイ14世下の17世紀に、街の住民と宮廷の王族のために建てられた。

注:ヴェルサイユの大聖堂は旧市街にあるサンルイ大聖堂であり、このノートルダム教会は、教区教会である。

35 rue de la Paroisse, Versailles, France

ヴェルサイユ宮殿北側に広がるノートルダム街にあり、宮殿前のPlace d’Armes(アルム広場)からノートルダム教会正面を見渡せる向きに建つ。

歴史

1672−73年、ヴェルサイユに宮廷を移して街を整備する一環として、ルイ14世は、町内にあった唯一の小さな教会、サンジュリアン教会を解体することに決め、開発中の新市街(現在のノートルダム街)に、同聖人に捧げる、より大きな教会を建てた[1][2]

1682年、宮廷が、ヴェルサイユに移動し、市が政治の中心地となる。

1684年、住民が増え、新市街と宮殿のための大規模な教区教会が必要になり、王の第一建築家である、ジュール・アルドゥアン=マンサールにより、ノートルダム教会の建築が始まる。場所は、73年から短い期間存在したサンジュリアン教会の跡地であった。

1686年、Notre-Dame en son Assomption(被昇天の聖母マリアに捧げる教会)として完成[3]。身廊から右(東側)の側廊に折れる角に、1686と記されている(写真参照)。

宮廷の教区教会であるため、以来、ルイ14世、ルイ15世ルイ16世治下の、王族の洗礼、結婚、葬儀がここで記録された。

1786年、建立100周年を機に、身廊から内陣にかけての彫刻による細かい装飾、例えばアーチ部分の真珠様の縁どり、柱の縦線のレリーフフリーズに並ぶ円形の飾りなどが施された[3]

革命期の動向

1789年、5月4日、ルイ16世が財政難解決のため170年ぶりに召集した三部会の議員が、まず王族の教会であるここで王とその家族に合流、グレゴリオ聖歌の後[4]、三部会開催を祝すミサに参列するため、王に従って、正面扉から旧市街のサンルイ教会[5]に向かって行進した。教会正面のPlace Hoche(オッシュ広場)にある説明プレートは当時の光景をこう記す:「三部会の議員の行進を迎えるため、ここ、当時のドーフィーヌ広場には、ゴブラン織タピスリーが敷き詰められた」。

1790年、神ではなく憲法に従うという、聖職者民事基本法を受け入れた、セーヌ=エ=オワーズ司教区の司教ジャン=ジュリアン・アヴォワーヌ(fr)により、ノートルダム教会が司教座教会(大聖堂)に指定される。

1793年、アヴォワーヌ没。後継者がなく、1797年まで司教不在となる。

非キリスト教化運動の中で、教会は、神ではなく人間の理性を崇拝する「理性の神殿」にすべきということになり、あらゆる教会が荒らされ[6]、ヴェルサイユ・ノートルダム教会でも、パイプオルガン(1687-88)、説教壇(1686)、現在後陣の裏にある絵画『聖母被昇天』(ミシェル・コルネイユⅡ世、1686)と三体の木彫以外は奪われたり破壊された。

1797年、セーヌ=エ=オワーズ司教区議長であったオーギュスタン=ジャン=シャルル・クレモン(fr)が、聖職者民事基本法に準じる二代目の司教になる。ノートルダム教会が、革命派による被害をより多く被っていたため、サンルイ教会を大聖堂に変更。

19世紀の改修

19世紀以降、革命中に荒らされた堂内が、寄贈も含めて改めて整えられていった。

1812年、正面扉の左右のニッチ(壁龕)に「信仰」と「希望」の二つのアレゴリー像が置かれる。

1858−1872年、後陣の奥に、ドーム屋根を持つ円形の聖心礼拝堂が増築された。

1876年、非キリスト教運動で破壊された主祭壇の代わりに、大理石と金箔を貼った青銅による祭壇が置かれた。

1854ー1887年、側廊脇のすべての礼拝堂にあるステンドグラスが、シャルトルの工房により制作された。

1883−1889年、ポリクロームの大理石が、クワイヤの床と、各柱の台に貼られた。

20世紀以降

1986年、建立300年が祝われる。

1930年、文化遺産保護制度により、大オルガンの外枠木製部分が、物品(objet)としてフランスの歴史的文化財に指定[7]

1999年、新しい祭壇が設置された。

2005年、教会建築全体がフランスの歴史的文化財に指定[8]

建築の構造

注釈

外部リンク

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