ヴェルサイユ条約 (1871年)
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ヴェルサイユ条約(ヴェルサイユじょうやく)は普仏戦争を終わらせ1871年2月26日にフランス第三共和政のアドルフ・ティエールと新たに建国されたドイツ帝国のオットー・フォン・ビスマルクにより署名された。仮条約が列強間で当初の1871年の停戦協定を強固にするのに使われた[1]。ヨーロッパ大陸における主要な軍事大国としてフランスに置き換わってドイツ帝国の優位を確認する同年5月10日のフランクフルト条約により追認された。
パリの政府国防政府はパリ包囲を解くためにドイツに降伏することで1月28日から発効する停戦協定を作っていて、フランスの著名な政治家ジュール・ファーヴルは停戦協定に署名するためにヴェルサイユでビスマルクと会って停戦協定を行った。アドルフ・ティエールはフランスがその政府を再建し始めたので新しいフランスの指導者として正式な条約の時までに台頭した。
フランス政府の混乱
普仏戦争の最初の7週間でプロイセンなどのドイツ軍は1870年9月2日のセダンの戦いでフランス皇帝ナポレオン3世を捕らえるなど奮闘するフランス政府に対して数回の大きな軍事的成功を収めた。これでフランス第二帝政が崩壊することになり、9月4日に国防政府に置き換わった。国防政府は新しいフランス共和国が選挙ができる前の臨時政府として機能し、包囲が解けないためにパリ市民から否定的な反応を受けた。政治家はボルドーやトゥールに政府を築くために避難し、フランス政府当局と連絡が取れなくし、更に国の体制を滅茶苦茶にし政府を弱体化させた。
ドイツ統一
フランス政府が悪化する一方でビスマルクは1871年1月18日に殆どのドイツの統一を達成することに成功しドイツ帝国を建国した。プロイセンのヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿の鏡の間で新たに建国した帝国の皇帝であることを宣言した。新しいドイツ指導部はフランスの植民地が得られる平和条約に署名したがったが、ビスマルクはドイツ統一という戦争を行った主要な理由が既に成就していることから即時停戦を選んだ。更なる紛争がドイツの負傷兵を増やしフランスの恨みを引き出すことになることを憂慮した。他のヨーロッパ諸国が新しいドイツが権力に飢えていると見るならヨーロッパ諸国が介入に動くことを恐れながらヨーロッパ諸国の関心を引き出すことにも慎重になった。両国は是非1871年2月初めまでに条約に署名したいと思った。
条約の条項
条約の条文にはフランスによりドイツに支払われる50億フランの戦争賠償金があった。ドイツ帝国陸軍は支払いが完了するまでフランスの一部を占領し続けることになった。条約はヴィルヘルム1世を新たに統一したドイツ帝国の皇帝としても承認した。アルザス地域圏とロレーヌ公国のモーゼル川をドイツに割譲することについての予備交渉が始まった。ビスマルクの反対にもかかわらずヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケとプロイセン参謀本部はこの領域は防衛上必要であるとして強く要求した。ビスマルクはドイツをフランスの永久の敵にしたくなかったので併合に反対した[2]。併合されたアルザス=ロレーヌの一部は後にフランスがテリトワール・ド・ベルフォール県を維持したのに続いてフランクフルト講和条約で僅かに減少した。
署名者
署名者は下記の通りである[3]。