国防政府
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| 国防政府 | |
|---|---|
| フランス第三共和政 第1代政府 | |
国防政府の閣僚 | |
| 成立年月日 | 1870年9月4日 |
| 終了年月日 | 1871年2月13日 |
| 組織 | |
| 元首 | ルイ・ジュール・トロシュ(事実上) |
| 首相 | ルイ・ジュール・トロシュ |
| 詳細 | |
| 前内閣 | クザンモントバン内閣 |
| 次内閣 | 第1次デフォール内閣 |
国防政府(フランス語:Gouvernement de la Défense nationale)は普仏戦争中の1870年9月4日から1871年2月13日までのフランス第三共和政の最初の政府であった。結果としてセダンの戦いでプロイセンにナポレオン3世が降伏し捕らえられたのに続く9月4日にパリで共和政を宣言すると結成された。ルイ・ジュール・トロシュ将軍が率いる政府はプロイセンにパリを包囲されていた。突破が2度試みられたが、災害と民衆の高まる不満に直面した。1月後半に革命的蜂起を鎮圧することでパリ市民を更に激高させた政府はプロイセンに降伏した。2週間後にアドルフ・ティエールの新政府に置き換わり、程なくして賠償金を支払い従ってプロイセンがフランスを去ることを義務づける目的の様々な金融法を可決し、フランスの各都市での革命の勃興とパリ・コミューンの最終的な開始につながった。
普仏戦争が1870年に始まった時フランスはナポレオン3世が支配していた。国民議会がパリに拠点を置いていたが、その権限は限られたものであった。戦前の国民議会議員特に社会党議員における広範な不満によりルイ・ナポレオン体制に多くの敵がいた。悲惨なセダンの戦いでナポレオンはプロイセン軍に捕らえられ、事実上フランスに政府がなくなった。ナポレオンが捕らえられたという報道がパリに届くと国民議会の指導的な議員は新政府の宣言のためにヴィルホテルに殺到した。ヴィルホテルでレオン・ガンベッタは大衆に向かい9月4日に国防政府の設立を宣言し、プロイセンに対する戦争継続を意図しながら政府は直ちにフランスにおける全権を掌握した。
著名な閣僚

様々な派閥が含まれていたが(ボナパルト派を除く)、オルレアン派や正統派などの保守派が国防政府で実権を握った[1]。大統領就任を要請されるとオルレアン派のルイ・ジュール・トロシュ将軍は「宗教、財産、家族を断固として守る」という国民議会の約束を基に承諾した[2]。
- ルイ・ジュール・トロシュ:大統領
- レオン・ガンベッタ:内務大臣
- ジュール・ファーヴル:副大統領兼外務大臣
- アドルフ・ル・フロー:戦争大臣
- レオン・マルタン・フリション:海軍・植民地大臣
- エルネスト・ピカール:財務大臣
- ジュール・フェリー:官房長官
- ジュール・シモン:教育・宗教・芸術大臣
- アドルフ・クレミュー:司法大臣
- エマニュエル・アラゴ:内務大臣
- ピエール・フェデリック・ドリアン:公共労働大臣
- アンリ・ロシュフォール:無任所大臣
- アレクサンドル・グレビゾワン:無任所大臣
- ルイアントワーヌ・ガルニエパジェ:無任所大臣
- ウジェーヌ・ペルタン:無任所大臣
パリ市民は革命的な左翼共和派と保守的な右翼共和派の不安定な協調関係がいつまで続くのかと感じていた。国防政府は速やかにプロイセンを除いてその後中心的な列強から承認された[要出典]。パリ以外の地域が考慮されずに全体としてパリ出身者からなっているためにプロイセン首相オットー・フォン・ビスマルクは新政体がフランスの政府として機能できるのか憂慮していた。しかし閣僚がプロイセンに対する戦争を継続する意図があるためにこのことは国防政府に対する大きな憂慮ではなかった[要出典]。