ヴォルガの船曳き
イリヤ・レーピンによる絵画
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船曳きという労働
河川での船の運航は、動力船がなかった時代、下流へ向かうには、帆に風を受けたり、無風時でも川の流れに乗ったりして進むことができた。一方、流れに逆らって上流へ向かうには、人や馬が船を曳く必要があった。船曳き人夫らは、主に春と秋に、皮や布で作られた幅広のベルトを身体に巻いて、何時間も何日間も岸辺や浅瀬を歩きながら船を曳いた[6]。船曳きと呼ばれるこうした労働は、1929年にソビエト連邦の政府によって正式に禁止されるまで続けられた[7]。
船曳き労働を最も必要とした川は、ヴォルガ川である。ヴォルガ河畔にあるルイビンスクは、「船曳きの首都」とも呼ばれていた。船曳き人夫らは、気分を盛り上げるために、「ヴォルガの船曳き歌」などの歌を歌いながら船を曳いた[7]。
作品
船曳き労働の過酷さ、ひいては、圧政に苦しみ虐げられる民衆の姿を描いたのが本作である[1][8]。遠くに蒸気船が見えることから、帆船の時代がすでに終わっていることがわかる。それでも人が船を曳いているのは、そのほうが安上がりであったためである[6]。
レーピンは、人夫らが船を曳いている様子を的確に描写するために、数十にも及ぶスケッチを行った[7]。スケッチが行われた場所としては、サマーラに近いシリャエヴォ村(北緯53度24分57.5秒 東経50度01分14.4秒)が知られている[9]。
本作に描かれた人物はすべて実在の人物をモデルとしており、それぞれに独特なキャラクターを見出すことができる[3]。たとえば、本作で先頭に位置している人物は、カーニンという元破門僧である[10]。しかし、モデルの多くは本作の完成後間もなく他界している[11]。
由来
評価
小説家のフョードル・ドストエフスキーは、その著書『作家の日記』の中で、『ヴォルガの船曳き』について、芸術における真実の勝利であるとして高く評価している[7]。
