一遍聖絵
伊予国に生まれ浄土宗を修めたのち、新しく独自の宗旨である時宗を興した開祖一遍を描いた絵巻
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要
一遍の異母弟(一説には実弟または甥)でその弟子ともいわれる聖戒がその報恩のために作成した[1][3]。奥書には、1299年(正安元年)一遍の弟子にあたる聖戒が詞書を起草し、法眼の地位にあった画僧の円伊が絵を描いたとある。
「一遍聖絵」は「六条縁起」または単に「聖絵」ともいう[3]。絵巻では一遍の旅が描かれ、南は九州大隅正八幡宮から北は奥州江刺郡(岩手県北上市)にまで及び、聖戒はその作中で一遍に同行したり旅先から書状を受け取っている[3]。
「一遍聖絵」は別名「六条縁起」と言われるように、他阿真教の「遊行派」に対して、自らの系統である「六条派」(時宗十二派の一つ。本寺は六条歓喜光寺)が一遍の正統的継承者であることを示そうとした編集意図も推察される。しかし後の一遍と遊行派開祖他阿真教を神格化していく遊行派の教団色が濃い『遊行上人縁起絵』に比べると、教団色はさほど強くなく対照的である[4]。
訪問地には熊野大社、善光寺、四天王寺など各地の寺社を含む[3]。描写の写実性には議論がある点も含まれているが、鎌倉の風景などは同時代に描かれたものとして唯一のものとされる[2]。
