丁字屋平兵衛

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丁字屋 平兵衛(ちょうじや へいべえ)は、江戸時代の貸本問屋・地本問屋・書物問屋。

江戸の書肆で、文渓堂と号した[1]。姓は岡田、明治時代以降は大渓(大谷)の姓を名乗った[1]。1881年(明治14年)頃に廃業した[1]

初代

安永5年(1776年)生まれ[1]。出自や経歴は不明[1]

文化5年(1808年)に貸本屋世話役となる[1]。所在地は小伝馬町三丁目[1]。文化頃は貸本業を中心に営んでいたが、文政4年(1821年)以降、本格的な出版活動に参入する[1]。これ以降、読本や滑稽本、人情本といった貸本向けの書籍を多数刊行し、後の丁字屋の基礎を築いた[1]

文政11年(1827年)7月7日、没[1]

二代目

二代目は初代の養子だった佐兵衛(左兵衛)である[1]

佐兵衛は、江戸の書肆 若林清兵衛のもとで奉公した後、文化10年(1816年)までの間に初代の養子となり、初代の死後に丁字屋を継いだ[1]。実兄の大坂屋半蔵を介して曲亭馬琴と親しくなり、大坂屋の死後は馬琴の作品を数多く手がけた[1]。天保の改革で処罰を受け、さらに天保13年(1842年)6月に『江戸繁昌記』が取り締まりを受けたことで、翌年、大伝馬町二丁目に転居する[1]

没年未詳[1]

三代目

三代目は、二代目の実子の平吉である[1]。嘉永3年(1850年)までに、二代目から丁字屋を受け継ぎ、三代目となった[1]。没年未詳[1]

刊行した作品

松永瑠成『貸本問屋と貸本文化』に、丁字屋が手がけた全ての作品が一覧化されている[1]

曲亭馬琴『南総里見八犬伝』『近世説美少年録』、鈴木牧之北越雪譜』などを刊行した[1]

出典

参考文献

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