七夕 (韓国)
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原典は中国から伝わり、内容は時代を経て少しずつ加除されてきたとされ、今日、韓国に伝わる物語は次のようなものである[2]。
- 昔、天地を治めていた天帝には機織りを好み織女(ジッニョ)と呼ばれる美しい娘がいた。帝は善良で誠実な若者を婿にしたいと考え、天の川の対岸の農夫の若者・牽牛(キョヌ)に目をかけた。しかし、結婚後の2人は一緒に遊ぶことしか考えないようになってしまい、織女は機織りを厭い、牽牛も農作業を怠けるようになったせいで、天に農作物が実らず大混乱に陥った。
- 激怒した天帝は2人を引き離し、織女には天の川の東で、牽牛には天の川の西で暮らすように命じ、1年に1度の七夕の夜にしか会えないようにした。
- しかし、いざ七夕の夜が来ても、2人は広い天の川の流れを渡る術を持っていなかった。これを憐れに思った烏と鵲が自分たちの体を繋いで橋とし、2人が再会できるように献身した。[2]
この話には、牽牛と織姫の重さに耐えて頭部をくっつけて橋を作り続けたため、烏と鵲の頭の毛は七夕の翌朝には抜けていた、というオチがある[2]。この橋のことを「烏鵲橋」(オジャッキョ)と呼び、この任にあたっているため七夕には烏や鵲を見かけないという[1]。
影響
風習
- 裁縫の腕前の上達を願い、特に未婚の娘は、醤(ジャン)を入れた甕を集めておく台の上に、朝いちばんに汲んだ水(井華水)を置き、その上にきれいな灰を平たく持った盆を載せて願を掛けた[3]。翌日に灰の上になんらかの痕跡があれば裁縫の腕が上がると信じられていた[4]。
- 主婦は同様に醤甕台に井華水を置き、初物の果物とククスやミルジョンビョン(小麦粉の煎餅)など小麦粉を調理した食べ物を供えて、一家の健康長寿や家内安全を祈願した[4][3]。七夕を過ぎると寒風が吹く季節となり、小麦粉がにおうようになる前に行い、その年最後の小麦粉の食事として宴を開いた[4]。宴の料理には、鯉の刺身(インオフェ)や焼いたもの(インオグイ)と、季節のキムチ、果物を入れた飲料を供した[3]。
- 仏教徒は寺院を訪ね、七星の神に祈った[4]。
- トックを作り、水田で豊作を祈願する祭祀(告祀=コサ)を行い、井戸やその周辺を掃除した[5]。
- 七夕には衣服や本を風にあてる風習があった。梅雨の頃に湿った服や本を乾かし、虫がつくことなく冬を越せると考えられていた[4]。