鵲橋

七夕の日に天の川上にできる橋 From Wikipedia, the free encyclopedia

鵲橋(しゃくはし、かささぎばし)とは、中国の伝説で旧暦7月7日七夕の日に天の川上にできる橋の名前である。

この橋は織姫彦星が出会うためにできることから、鵲橋とは男女が良縁で結ばれる事を意味する。

淮南子』からの引用とされている淮南子烏鵲填河成橋而渡織女[1](烏鵲河を填めて橋を成し、織女を渡らしむ)という『白孔六帖』の文章が出典とされるがその史料的価値が低く、白居易自身による記述がどこからどこまでなのかも未解決であり[2]、また、現行の『淮南子』にはその記述は無い。

馮応京中国語版(ふうおうけい(1555-1606年)、正字馮應京)の『月令広義』も『淮南子』からの引用として淮南子七月七日織女赴牽牛烏鵲填河成橋而渡[3]と記述しているが、『淮南子』にはその記述は無い。

しかし、菅原道真ひこほしの行あひをまつ鵲の わたせる橋を我にかさなむの歌があり[4]、日本では男性である牽牛星が橋を渡るものとされていたようである。

宮中の階(きざはし)を「かささぎのはし」とも呼ぶ。

類語に烏鵲橋(からすとかささぎが作る橋)。

和歌

天禄四年(※973年)五月廿一日、円融院のみかと一品宮にわたらせ給ひて、らんことらせ給ひけるまけわさを、七月七日にかの宮より内の大はん所にたてまつられける扇にはられて侍りけるうす物に、おりつけて侍りける

中務
〽あまの河河辺すすしきたなはたに扇の風を猶やかさまし
元輔

〽天の河扇の風にきりはれてそらすみわたる鵲のはし[5][6]

歌題としても良く取り上げられ、新古今集の冬の部に収録された中納言大伴家持和歌「かささぎのわたせるはしに置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」は小倉百人一首にも収録されており有名だが、七夕の歌ではなく冬の歌である。

各地の橋名

大阪府枚方市には「かささぎ橋」という名の橋があるが、上の伝説にちなんで命名されたものである。

また、宮城県登米市宮城柳津虚空蔵尊にも、歌人大伴家持ゆかり「鵲橋」がある。


脚注

参考文献

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