三使清足

From Wikipedia, the free encyclopedia

三使 清足(みつかい の きよたり、生没年不詳)は、奈良時代官人。氏は御使、名は浄足とも記される。のち朝臣官位従五位下三河介

本貫左京孝謙朝天平勝宝2年(750年駿河国採掘に成功し、无位から従六位下に直叙されるとともに、40疋・真綿40屯・正税2000束を与えられる。またこの際、駿河守・勤東人も昇叙され、さらに金が発見されたでは当年の田租が免除され、主帳以上の郡司叙位を受けた[1]。なお、この時の「浄足」と、以降の記事の清足は、位階などの問題から、別人ではないか、とする説がある[2]

称徳朝神護景雲2年(768年)一族の清成・田公を合わせた合計18名が姓から朝臣姓に改姓した(この時の位階正七位上)。

延暦3年(784年従五位下に叙せられると、延暦5年(786年美濃介、延暦6年(787年三河介桓武朝前半に中部地方国司を歴任している。

官歴

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI