三四呂人形
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作者の野口三四郎は1901年(明治34年)に静岡県三島市(当時は田方郡三島町)で生まれた[2]。1929年(昭和4年)頃から張り子による人形製作を開始し、自身の名にちなみ「三四呂人形」と名付けた[1]。
通常の張り子の製作技法は、原型となる木型の表面に和紙を幾重にも貼っていき、乾燥して固まったら和紙を半分に割って木型を取り出し、和紙を接合して着色し完成させるというものである。これに対し野口は、原型の木型の表面にまず石膏を塗って乾燥させて第2の型を作り、この内側に和紙を重ね貼りして乾燥させ、石膏から取り外して接合したものに雁皮紙(がんぴし)を貼って着色するという、独自の技法を用いた。これには、張り子の表面に原型の持ち味や風合いが現れるという利点があったという[3]。作風としては、子供たちをテーマにした素朴な雰囲気の人形が多い[3]。
1936年(昭和11年)に開催された第1回綜合人形芸術展に出品された、地元の源兵衛川で遊ぶ子供(作者の甥たち)をモデルとした「水辺興淡」は、最高賞を受賞した[1][3]。
しかし野口は、受賞直後に結核に罹患し、療養のため三島の実家に身を寄せるが1937年(昭和12年)2月22日に死去した[1]。
三四呂人形は、野口の死後もしばらく三島市内の土産品として各地で販売されていたというが[4]、現存するものは、ほとんどが野口の親族や知人の所有するものとなっている。現在は三島市郷土資料館(三島市立公園楽寿園内所在)が遺作の収集にあたっている。
2025年(令和7年)3月1日から5月11日にかけて、同資料館は野口の生涯と三四呂人形を本格的にテーマとした企画展「野口三四郎の芸術世界」を開催した[1]。