三宅尚斎
From Wikipedia, the free encyclopedia
丹波篠山藩家臣・平出重直の第3子として播磨に生まれる。幼い頃は平出家に養子として入った父の意向に従い医術を学ぶ。17歳の頃に父を失い、19歳に山崎闇斎の門に入り、儒学を修める。姓を「三宅」に復したのはこの時である。元禄2年(1689年)に江戸に来て、翌年には武蔵忍藩主阿部正武に仕える。10年間忠実に勤め、しばしば主君を諫めたが、その意見が聞かれないので病と称して3回致仕を願い出る。
宝永4年(1707年)に忍城に幽閉される。友人である三輪執斎や細井広沢が赦免を請うが許されず、3年後に5代将軍徳川綱吉の逝去による大赦にあい放免された。宝永7年(1710年)、京都に行き儒学を教え始める。享保18年(1733年)、中国の小学・大学にならい、培根堂・達支堂を設ける。諸侯に頼まれて講説することも多く、特に土佐藩には世子の賓師として迎えられた。墓所は京都市金戒光明寺。