細井広沢
1658-1736, 江戸時代中期の儒学者、書家、篆刻家
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略伝
万治元年(1658年)10月8日に遠江国掛川において細井玄佐知治(松平信之の家臣)の次男として生まれた。母は山本氏。
父は主君である松平日向守が移封された播州明石に従い、父が江戸詰めになった後、寛文12年(1672年)から朱子学を坂井漸軒に学び、延宝5年(1677年)から書道を北島雪山・都筑道乙に学んだ[2]。ほかにも兵学・歌道・天文・算数などあらゆる知識に通じ、博学をもって元禄前期に柳沢吉保に200石で召抱えられた。また剣術を堀内正春に学び、この堀内道場で師範代の赤穂浪士の堀部武庸と親しくなった。
赤穂事件でも堀部武庸を通じて赤穂浪士に協力し、討ち入り口述書の添削をおこない、また『堀部安兵衛日記』の編纂を託された。吉良邸討ち入り計画にかなり深い協力をしており、武庸からの信頼の厚さが窺える。
この事件の間の元禄15年(1702年)に柳沢家を放逐された。広沢が幕府側用人松平輝貞(高崎藩主)と揉め事を抱えていた友人の弁護のために代わりに抗議した結果、輝貞の不興を買い、広沢を放逐せよとしつこく柳沢家に圧力をかけるようになり、吉保がこの圧力に屈したというのが放逐の原因である。しかし、吉保は広沢の学識を惜しんで、浪人後も広沢に毎年50両を送ってその後も関係も持ち続けたといわれる。
書・篆刻
測量
出典
演じた人物
- 原保美ー 大忠臣蔵 (1971年のテレビドラマ)
- 久米明ー NHK大河ドラマ「元禄太平記」(1975年)
