三条実綱 戦国時代から安土桃山時代の公卿 From Wikipedia, the free encyclopedia 三条 実綱(さんじょう さねつな、永禄5年〈1562年〉 - 天正9年2月7日〈1581年3月11日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿。内大臣・三条西実枝の子。官位は正三位・権中納言、贈内大臣。三条家18代。初名は公宣(きんのぶ)。主に正親町天皇(106代)の代に朝廷に仕えた。 時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 永禄5年(1562年)死没 天正9年2月7日(1581年3月11日)改名 公宣→実綱概要 凡例三条 実綱, 時代 ... 凡例三条 実綱時代 戦国時代 - 安土桃山時代生誕 永禄5年(1562年)死没 天正9年2月7日(1581年3月11日)改名 公宣→実綱官位 正三位、権中納言、贈内大臣主君 正親町天皇氏族 三条西家→三条家父母 父:三条西実枝、母:正親町三条公兄の娘養父:三条公頼、養母:勧修寺尚顕の娘兄弟 三条西公世、三条西公国、実綱、稲葉良通正室、高倉永孝室子 養子:公広(甥)テンプレートを表示閉じる 経歴 本家筋の三条家当主の公頼が周防国へ下向していた際に大寧寺の変に巻き込まれて殺害され、家を継ぐはずだった養子の実教も早世したので、実綱が三条家を相続した。 永禄12年(1569年)叙爵。その後、清華家当主として速い速度で出世し、幼くして侍従・左近衛中将などを務め、天正8年(1580年)までには正三位・権中納言となっていたが、その翌年に死去した。享年20。 その早世を惜しまれ、死後に内大臣を追贈された。甥の公広が養子として跡を継いだ。 官歴 『公卿補任』による 永禄12年(1569年) 10月4日:叙爵(従五位下) 元亀3年(1572年) 某月某日:従五位上 天正元年(1573年) 12月20日:侍従 天正2年(1574年) 某月某日:正五位下 天正3年(1575年) 6月3日:従四位下(侍従如元)。12月26日:左近衛中将 天正4年(1576年) 正月6日:従四位上。12月13日:正四位下(年中両度) 天正6年(1578年) 正月6日:従三位(左中将如元) 天正7年(1579年) 7月4日:権中納言 天正8年(1580年) 12月7日:正三位 天正9年(1581年) 2月7日:薨去(享年20)、贈内大臣?[1] 系譜 『公卿補任』による 父:三条西実枝 母:正親町三条公兄の娘 養父:三条公頼 養母:勧修寺尚顕の娘 妻:勧修寺晴右の娘 女子: 養子 三条公広(1577-1626) - 甥(実兄・三条西公国の次男) 脚注 [1]『摂家清華正統略系』 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks