三留理男
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1938年、日本統治下の朝鮮北部・沙里院(現在は北朝鮮・黄海北道沙里院市)に生まれる[2]。1948年に長崎県佐世保市に引き揚げる。山口県立萩高等学校在学中に、元朝日新聞のカメラマンであった角川政治に師事、写真を学ぶ。
1958年に日本大学藝術学部写真学科に入学。在学中の1961年には写真集「Document 小児マヒの記録」(法政大学出版局)を出版した。同年には初の個展「どんづまり―筑豊の女たち」を開催し、各方面より高い評価を得る[2]。
その後、日本大学藝術学部写真学科を中退。1960年代半ばより報道写真家としてアフリカ・ギニアの部族を取材する。また、パレスチナ、インドシナ三国の国際紛争を取材する。
三里塚闘争(成田空港問題)の活動にも参加しており、1968年3月31日に成田市街地で機動隊とデモ隊が激しく衝突した第3次成田デモ事件などを取材している[3]。三里塚芝山連合空港反対同盟(反対同盟)も制作に参加した映画『襤褸の旗』では制作にも携わった[4]。現在でも反対同盟の北原派[5]主催の映画上映会で話をすることがある。アジア・アフリカを中心に70カ国以上を取材しているが[2]、成田空港の使用は避けている[6]。
1981年に『アコロ「食うものをくれ!!」』(集英社)を出版。ケニアの西北部、トルカナ地方で飢餓に苦しむ人々の姿をルポルタージュした写真は人々に大きな衝撃を与えた。同年、毎日新聞で発表した「ケニア飢餓前線」は東アフリカ救済キャンペーンの契機となった。
『国境を越えた子供たち』(集英社)をはじめとする一連の作品で、世界の様々な国境線上の状況を、強い問題意識と共感を持って取材した作品は反響を呼んだ。この功績が認められ、1982年に第一回土門拳賞を受賞した[6][7]。