襤褸の旗

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襤褸の旗(らんるのはた)は、1974年(昭和49年)5月1日公開の日本映画である。「襤褸の旗」製作委員会製作[2]、自主上映システムで映画化[2][3]。監督は吉村公三郎モノクロシネマスコープ、115分。

国会議員にまでなりながら天皇直訴事件を起こして狂人扱いされた[3]、"明治義人"田中正造公害事件の原点ともいうべき足尾鉱毒事件を描く[3][4]。主演の三國連太郎は、第29回毎日映画コンクール男優演技賞を受賞した[5]。第48回キネマ旬報ベスト・テン第8位。

あらすじ

スタッフ

このほか、報道写真家三留理男も制作に携わっている[6]。三留は2017年現在でも反対同盟の北原派[注釈 1]主催の映画上映会で話をすることがある。

キャスト

製作

製作10数年前に中風で倒れ[3]、以降連続的に患い、撮影当時は30キロも瘦せていた吉村公三郎監督にとっては久しぶりの大きな仕事に打ち込んだ[3]千葉県成田市三里塚を拠点に撮影が行われ[3]、1974年2月8日、当地でクランクイン[3]。1974年2月14日に当地で記者会見があり[3]、吉村、三國、新人・大関優子らが出席し抱負を語った[3]。三國は「田中の写真をじーっと眺めています。変に役作りすることを捨て、自分と共通する何かを見つけ出そうとしています」と神懸かり的ともいわれる三國一流の役作りを披露した[3]

撮影

新東京国際空港(現・成田国際空港)の反対運動を実施していた三里塚芝山連合空港反対同盟も協力し、撮影を行った。当時、反対同盟の戸村一作参議院議員選挙に出馬予定をしており、反対同盟では選挙の宣伝になるとの思惑があった[7][注釈 2]

反対同盟の農民、支援者、学生[注釈 3]も出演している[8]

キャスティング

後に映画釣りバカ日誌』シリーズでコンビを組んだ三國連太郎西田敏行が共演、西田の映画初出演作品でもある[9]

公開

1974年のメーデーに全国公開された[3]。但し「自主上映システムで映画化」と書かれた文献が複数あるため[2][3]、一般の劇場で公開されたかは不明。映画の完成後、反対同盟は自主上映会を実施している。北原鉱治は福岡を担当し、映画を作成した理由を講演している[7]

脚注

関連項目

外部リンク

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