三角みづ紀
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- 初めて詩を書いたのは12歳の時。学校の授業で川柳を書き、褒められたことがきっかけで地元鹿児島県の南日本新聞の若年層向け投稿欄「若い芽」に投稿をする。当時のペンネームは「kei riverse」(読み:ケイリバース)だった[4]。
- 鹿児島市立城西中学校在学中に毎日中学生新聞にて、1クール大賞という写真の賞を受賞する。そこから戦場カメラマンになることを夢見るも、鹿児島県立武岡台高等学校を経て、上京。一浪して東京造形大学に進学。映像の道へ進む。東京造形大学の卒業制作においては、ZOKEI賞を受賞する。詩の投稿サイト文学極道に詩を投稿していた。
- 2001年の冬に(1年生)難病、膠原病の全身性エリテマトーデスを発症。一年間休学し、奄美大島における療養中に12歳から始めていた詩作を投稿するようになり、2年にわたる投稿の後、
- 2004年に現代詩手帖にて第42回現代詩手帖賞を受賞する。同年、処女詩集「オウバアキル」を刊行、第10回中原中也賞を受賞する[5]。
- 2006年、ステロイド剤の副作用による大腿骨骨頭壊死による右下肢機能障害を負う。同年刊行の第二詩集「カナシヤル」においては、第18回歴程新鋭賞、2006年度南日本文学賞を受賞する。
- 2008年、第三詩集「錯覚しなければ」を刊行。
- 2009年、講談社Birthにて初の小説作品『骨、家へかえる』を刊行。
- 2010年、音楽と朗読のアルバム『悪いことしたでしょうか』をリリース。
- 2013年、新藤凉子・河津聖恵との連詩集『連詩 悪母島の魔術師』で第51回藤村記念歴程賞を受賞する。
- 2014年、第五詩集「隣人のいない部屋」で第22回萩原朔太郎賞を最年少受賞する[6]。
- 2016年、南日本新聞での詩壇の選をはじめる。
- 2017年、南日本文学賞選考委員になる。
- 2018年、北海道新聞にて「道内文学・詩」を担当する。
- 2020年、Velladon x 三角みづ紀で初のフルアルバム「Love Letter」をリリース。
- オウバアキル(2004年、思潮社)(2006年、 Juliet Winters Carpenter 氏により英訳)
- 初出:「八月十五日」 - 『現代詩手帖』2002年6月号(「投稿欄」初投稿作)
- ほか
- カナシヤル(2006年、思潮社)
- 錯覚しなければ(2008年、思潮社)
- はこいり(2010年、思潮社)
- Kindle詩集「夜の分布図」(2013年、 [Kindle版])
- 隣人のいない部屋(2013年、思潮社)
- 舵を弾く(2015年、思潮社)
- よいひかり(2016年、ナナロク社)
- どこにでもあるケーキ(2020年、ナナロク社)
- 第9詩集『週末のアルペジオ』
- 第十詩集『メキシコ』(2025年11月、ナナロク社)
- 「欲望レイン」 - 『現代詩手帖』2002年7月号(「投稿欄」第二投稿作品)
- 「むくい」 - 『現代詩手帖』2021年1月
- 「いきもの」[7]- 『文藝春秋』2025年12月号
- 「光復」- 『現代詩手帖』2026年1月号
- 現代詩文庫 三角みづ紀詩集(2014年、思潮社)
- 「オウバアキル」全篇収録
- 「カナヤシル」全篇収録
- 「錯覚しなければ」抄録
- 「はこいり」抄録
- 連作「終焉」抄録
- エッセイ「感覚をうけつぐ」-初出:『南日本新聞』2013年7月6日号
- エッセイ「隣人のいない部屋まで」-初出:『どんと、こい!』1号、(2013年7月)(ただしリライトした)
- 解説「ライヴァル」福間健二
- 解説「生(いのち)の真珠(たま)」池井昌樹
- 解説「スロヴェニア作用」管啓次郎
- 解説「三角みづ紀という隣人」野口あや子
- 悪母島の魔術師(2013年、思潮社)新藤凉子と河津聖恵との共著
- 気管支たちとはじめての手紙(2014年、マイナビブックス)野口あや子との共著
- 『骨、家へかえる』(2009年、講談社Birth)
- 「きみさがし」『すばる』2023年3月号に掲載
- 「きらいなひとが死んだ」『すばる』2026年3月号に掲載
- 東京心中(2006年) - ZOKEI賞受賞
- 窓際の白い花が一刻もはやく枯れますように!(2008年)
- 彼によろしく(2008年)
- 定点観測 : 女声合唱とピアノのための組曲(2023年)
- 悪いことしたでしょうか(2010年) - 三角みづ紀ユニット
- 幻滅した(2011年) - 三角みづ紀ユニット
- おしまいと温度(2012年) - 三角みづ紀+瀬戸尚幸