上之園町
鹿児島市の町
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地理
歴史
近代
江戸時代の天保年間には鹿児島城下の武家屋敷は甲突川の北側から徐々に南に広がり上之園町あたりに居住しているものも多数おり[9]、高麗町と連続し下級武士が多く居住していた[10]。また上之園郷中が置かれており、郷中教育が行われていた[11]。天保年間の「天保城下絵図」に「上ノ園」という記述が見える[12]。
市制施行以後
1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「
市制施行地」(内務省告示第1号)によって鹿児島が市制施行地に指定された[13]。3月5日には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村が市制による鹿児島市の区域と定められ[14]、4月1日に市制が施行されたのに伴い、鹿児島郡50町村(山下町、平之馬場町、新照院通町、長田町、冷水通町、上竜尾町、下竜尾町、池之上町、鼓川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町、車町、恵美須町、小川町、和泉屋町、浜町、向江町、栄町、柳町、易居町、中町、金生町、東千石馬場町、西千石馬場町、汐見町、泉町、築町、生産町、六日町、新町、松原通町、船津町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、新屋敷通町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、上之園通町、高麗町、下荒田町、荒田村、西田村、塩屋村)の区域より鹿児島市が成立した[14]。それまでの上之園通町は鹿児島市の町「上之園通町」となった[4]。1899年(明治32年)1月に上之園通町から「通」の文字が削除され「上之園町」に改称した[15][4]。
1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した[16]。西鹿児島駅前一帯(中洲工区)において町界町名の変更が実施されることとなり、1970年(昭和45年)に上之園町及び上荒田町、武町(現在の武)、西田町(現在の西田)の各一部より中央町が設置され、上荒田町及び高麗町、武町の一部が上之園町に編入された[4][17]。
町域の変遷
人口
文化財
施設
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[29]。
| 町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 上之園町 | 全域 | 鹿児島市立中洲小学校 | 鹿児島市立甲南中学校 |
