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藤村志保

日本の女優 (1939-2025) From Wikipedia, the free encyclopedia

藤村 志保(ふじむら しほ、本名;静永 操〈しずなが みさお〉[1]、旧姓;薄〈すすき〉、1939年〈昭和14年〉1月3日 - 2025年〈令和7年〉6月12日)は、日本の女優。神奈川県川崎市出身。所属事務所は(有)オフィス優。日本子守唄協会副会長[2]。

本名 静永 操(しずなが みさお)[1]
生年月日 (1939-01-03) 1939年1月3日
没年月日 (2025-06-12) 2025年6月12日(86歳没)
概要 ふじむら しほ 藤村 志保, 本名 ...
ふじむら しほ
藤村 志保
藤村 志保
(『大映グラフ』1967年1月1日新春特別号より)
本名 静永 操(しずなが みさお)[1]
生年月日 (1939-01-03) 1939年1月3日
没年月日 (2025-06-12) 2025年6月12日(86歳没)
出生地 日本の旗 日本、神奈川県川崎市
職業 女優
活動内容 1962年 - 2014年
配偶者 あり(静永純一、1970年結婚)
事務所 有限会社オフィス優
主な作品
テレビドラマ
『太閤記』
『三姉妹』
『温泉へ行こう』シリーズ
『てるてる家族』
『風林火山』
映画
『古都憂愁 姉いもうと』
『大魔神怒る』
『なみだ川』
『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』
受賞
TAMA映画祭
最優秀作品賞

2012年『この空の花 長岡花火物語』
第59回NHK放送文化賞
第6回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞
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人物・来歴

4歳の時、父を戦争で失い、毛糸商を営む母に育てられた[3]。1957年、フェリス女学院高等部卒業[4]。フェリス女学院時代の同級生に安井かずみ。

9歳から日本舞踊の稽古に明け暮れ、19歳で花柳流の名取「麗(うらら)」として日本舞踊を教えるなど、踊りにも精通。

1961年、大映京都撮影所演技研究所に入所。

1962年、市川崑の監督映画『破戒』でデビュー。芸名は、デビュー作の役名「志保」と原作者の島崎藤村に由来する[3]。以降、大映のスターとして主に時代劇で活躍。テレビドラマにも進出し、1965年、『太閤記』のねね役を演じたのをきっかけに大河ドラマで活躍。

また『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、『森田一義アワー 笑っていいとも!』テレフォンショッキング、『徹子の部屋』、『スタジオパークからこんにちは』などバラエティ番組やトーク番組にも多数出演し、軽妙なトークや撮影秘話などを披露。ドラマ・映画・舞台からは窺い知ることのできない素顔を見せている。

1979年、地唄舞の名手・武原はんに師事、1985年から地唄舞披露「藤村志保の会」を開始し、以来、隔年にほぼ一度のペースで主宰[5]。

1983年、女優として初めて、放送番組向上委員会委員に就任[3]。1985年には臓器移植を取材して著書『脳死をこえて』を書き上げ第6回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞を受賞、同著はテレビドラマ化もされている。自身も腎臓バンクに登録、衆院法務委員会で参考人として意見を述べた[3]。

大河ドラマ『風林火山』での演技が認められ、第59回NHK放送文化賞を受賞した。

放送文化資源・資料の保存にも関心を持っており、2011年には日本脚本アーカイブズ(後の一般社団法人日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム)に対し自身の出演作等の台本576冊を寄贈している[6]。

2014年にはNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でナレーションを務め、演出意図から独特な語り口調が賛否両論を起こした。しかし、放送開始直前の同年1月3日に背骨を圧迫骨折する大けがを負い、医師から絶対安静と診断され、今後の収録は困難になったとの理由からナレーションを降板することが同年1月29日に発表された。ナレーションは同年2月16日放送分の第7回から元NHKアナウンサー広瀬修子に交代し、しばらく治療に専念[7]。同年8月までに全快し、同月12日に快気祝いが催されたという[8][9]。しかし以降も5、6度の圧迫骨折を患い、活動復帰はできなかった。

2025年6月12日、肺炎のため死去した[10]。86歳没。墓所は東京都港区の増上寺。

受賞

出演

映画

『古都憂愁 姉いもうと』(1967年)

テレビドラマ

舞台

その他

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脚注

関連項目

外部リンク

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