上杉顕房 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代中期生誕 永享7年(1435年)?死没 享徳4年1月24日(1455年2月10日)別名 通称:三郎 凡例上杉 顕房時代 室町時代中期生誕 永享7年(1435年)?死没 享徳4年1月24日(1455年2月10日)別名 通称:三郎戒名 長源院官位 弾正少弼、修理大夫幕府 室町幕府 相模守護氏族 扇谷上杉氏父母 父:上杉持朝兄弟 顕房、三浦高救、上杉憲忠正室、定正、叔彭梵寿、朝昌、吉良成高正室、大石房重正室子 政真、朝重、千葉実胤正室テンプレートを表示 上杉 顕房(うえすぎ あきふさ)は、室町時代中期の武将・守護大名。相模国守護。扇谷上杉氏の当主。 永享7年(1435年)、上杉持朝の嫡男として誕生。 宝徳元年(1449年)、滅ぼされた足利持氏の遺児の永寿王(足利成氏)が鎌倉公方に復帰した際に、父・持朝が隠居したため扇谷家の家督を継承する。家宰である太田資清の補佐を受けていた。 成氏が関東管領・上杉憲忠を殺害し享徳の乱が勃発すると、上杉氏の一門として上杉憲顕や長尾景仲らと共に軍勢を率いて相模江の島などで成氏と戦った。だが、武蔵国分倍河原の戦いにおいて敗北し、自害した。 嫡子の政真はまだ幼かったため、扇谷上杉氏は父の持朝が当主として復帰した。 関連項目 山内上杉氏 越後上杉氏 表話編歴扇谷上杉氏当主(1449年 - 1455年)宗家 重顕 朝定 顕定 氏定 持定 持朝 顕房 持朝(再襲) 政真 定正 朝良 朝興 朝定 憲勝 分家・支流 八条上杉氏 朝顕 満朝 満定 持定 成定 加賀爪上杉氏 政定 忠定 政泰 泰定 政豊 政尚 忠澄 直澄 直清 | 断絶 Related Articles