上田三千夫
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福岡県小倉市(現・北九州市)出身(出生地は宮崎県)。旧姓は和田。1939年に小倉競馬場所属の調教師、上田武司に弟子入りし、のち養子となる。
1943年に騎手免許を取得し、春季宮崎競馬より騎乗、3日目で初勝利を飾ったが、上田が応召したために渋川久作厩舎に移籍。1944年3月に一旦騎手を廃業した。
戦後、1946年9月に再び騎手免許を取得。高橋直三厩舎の所属となったが、1948年には京都競馬場に厩舎を構えた上田厩舎に復帰し、主戦騎手を務めるようになった。その後、国営競馬時代の1951年には69勝を挙げるなど活躍した。
上田は、厩舎に数多くの馬を預けていた上田清次郎の持ち馬で多くの勝利を飾ったが、中でもダイナナホウシユウでは、1954年の皐月賞および菊花賞を勝利して二冠を制したほか、翌年の天皇賞・秋を逃げ切るなど、優れた成績を残している。
騎手として1965年2月まで騎乗し、中央競馬では通算257勝を挙げて調教師に転身した。
調教師になってからも、上田清次郎の持ち馬を数多く管理し、1971年の金鯱賞や阪神大賞典を勝ったスインホウシュウなどを管理したが、騎手時代ほどには重賞勝ちには恵まれなかった。
1999年2月28日をもって定年により調教師を引退した。通算626勝。