上総八幡藩
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関連地図(千葉県)[注釈 1]
→詳細は「上総苅谷藩」を参照
寛文8年(1668年)8月、堀直良は父・直景の隠居に伴い家督を相続して上総苅谷藩主となる[1]。直良は同年9月にはじめて国許に入る暇を与えられているが[1]、同年中に夷隅郡苅谷から市原郡八幡に居所を移した[注釈 2]。八幡への移転は、湊町であることからの利便性ゆえと見られる[2]。これにより上総八幡藩が立藩した。
堀家の領地は、上総苅谷藩時代の寛文4年(1664年)時点で、越後国(5500石)、上総国(夷隅郡・埴生郡・市原郡・長柄郡の4郡内、4120石余)および下総国、武蔵国にまたがっていた[3]。この越後国の領地は、直良の祖父・堀直之(のちに町奉行・寺社奉行を務める)に与えられた知行地が由来で、大身旗本となった直之ははじめ越後椎谷を居所とし[4]、上総で加増を受けた際に上総苅谷に居所を移した[5]という経緯がある。
市原郡八幡村は、村高が1379石余(元禄郷帳)[6]という大きな村で、複数の領主の相給となっており[注釈 3]、堀家も八幡村の一部のみの領主であった[2]。貞享3年(1686年)には大久保忠高も八幡村で別個に陣屋を構えたとされる[7][8](後述)。
元禄4年(1691年)に、八幡宿の八幡宮(
元禄4年(1691年)2月、直良は49歳で死去し、跡を子の堀

