明治30年(1897年)7月1日、北白川宮能久親王の第6王子正雄は、臣籍降下して華族の伯爵に列せられた。なお正雄の兄である芳之(第5王子)も同日に臣籍降下して二荒家を興して伯爵に叙されている。
上野正雄は海軍少将まで昇進した海軍将校となった。昭和前期に上野伯爵家の住居は東京市渋谷区常磐松町にあった。
正雄の跡はその息子の上野正泰が相続し、その後は松平圀秀子爵の次男上野秀治が正泰の養子に入り相続。秀治は大名生活史や華族制度史を専門とする皇學館大学文学部国史学科の教授である[5]。夫人は桃山虔一(旧公族の李鍵公)の娘久美。