上野隆一
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年譜
1948年(昭和23年)、山形県東田川郡藤島町大字三和に農家の16代目として生まれる[4]。長男であったことから「農業をやるのが当然」と考え[5]、山形県立庄内農業高等学校に入学[6]。高校卒業後は農業者大学校へ進学した。その後、山形へ戻って家業である農業や畜産関係の仕事に従事した[5]。
田畑を引き継いだ際、土地は上野の叔父の名義である上、さらに3,000万円近い借金があることが発覚。利息の支払いだけで1日1万円が消えていった[5]。また、上野自身が農業に向いていないと感じ[6]、他の仕事を探すため地元商工会へ出向くと、羽黒町の電子機器関連の工場でコイルを巻く仕事を紹介された[7]。この工場は大手家電メーカーにコイルを納品するコイルメーカーの下請け企業であり、上野が紹介された仕事はその下請けである二次下請けだった[4]。1982年(昭和57年)1月にはトロイダルコイルの巻線業を創業[8]、近所に住む農家を集めて内職を開始した。田植えなどの農繁期は農家が集まらなかったものの、農閑期に入ると売り上げは伸び、創業から1年半で月1,000万円の売り上げに到達。これにより借金は3年で返済した[7]。
当時、農家の内職としてコイルを安定的に製造・供給するのは難しく、安定的に納品できる体制を整えるため、上野は山形刑務所の受刑者にも業務を委託した。2年後の1984年には有限会社上野製作所を設立し、一次下請けとしてコイル製造を始めた[7]。会社はバブル景気によって業績を上げたものの、バブル崩壊によって親会社からコイルを人件費の安い中国での製造に切り替える旨を告げられ、下請けからコイルメーカーへと転換した[4]。生産コストの削減を目標に掲げ、コイルの巻き付け作業の完全自動化や国外への製造拠点の設置を主導した[9]。
2015年(平成27年)5月には出羽商工会の2代目会長に就任し、2024年(令和6年)5月に退任した[3]。会長の任期中は新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、厳しい経営状況に立たされた飲食業などの事業者に対する支援を行った[10]。